枕詞の「ちはやぶる」です(別語の「ちはやぶる」は3月10日)。
「ちはやふるる(千葉や経(古)るる)」。「は(葉)」は時間・歳月を表現する(→「はは(母)」の項)。「ちは(千葉)」は象徴的に永遠を意味する。「ふるる(古るる)」は動詞「ふり(古り)」(上二段活用)の連体形。これは倒置表現であり、永遠ではないのか?経ているのは→経ているのは永遠ではないのか(永遠だ)という表現。この枕詞は「神(かみ)」やその系統のこと、具体的には、神(かみ)、「神(かみ)」という語のつくいろいろな語(たとえば「神無月(かむなづき)」)、神社、それがある地名(たとえば「加茂(かも)」)、(神的な表現として)大君(おほきみ)、神に縁のあるもの・こと(たとえば「斎垣(いがき)」などにかかる。「玉(たま)の簾(すだれ)」などは関係なさそうですが、「玉(たま)」は「魂(たま)」に、そして神の世界に、つうじているということでしょう。地名「宇治(うぢ)」にかかるとも言われますが、それにかんしては別語「ちはやぶる」の項。この語は、「ちはやぶる」に影響され、神威の力を表現する場合には濁音化も起こり、といったことはあるのかもしれませんが、元来は清音「ちはやふる」でしょう。
『万葉集』ではこの語は「知波夜夫流(万4011)、知波夜布留(万4402)、千羽八振(万2662)、千早振(万2416)、千石破(万2660)、千葉破(万2663)、千磐破(万101、404、619、1230、3811)といった表記がなされる。
「ちはやふる(知波夜布留)神の御坂(みさか)に幣(ぬさ)奉(まつ)り斎(いは)ふ命は母父(おもちち)がため」(万4402)。
「吾妹子にまたもあはむとちはやふる(千羽八振)神の社(やしろ)を祈(の)まぬ日はなし」(万2662)。
「ちはやぶる(千葉破)神の斎垣(いがき)も越えぬべし今は吾(わ)が名の惜しけくもなし」(万2663)。
「ちはやふる神世もきかず龍田川(たつたがは) 唐紅(からくれなゐ)に水くくるとは」(『古今和歌集』:「くくる」は、括染(くくりぞめ:布の模様染めの一種)にすること)。
「ちはやふる 玉の簾(すだれ)を まきあげて 念仏(ねぶつ)の声を 聞くぞうれしき」(『玉葉集』)。
「ちはやふる斎(いつき)の宮の旅寝(たびね)には葵(あふひ)そ草の枕なりけり」(『千載和歌集』)。
「いつとてか 我が恋やまむ ちはやふる 浅間(あさま)の岳(たけ)の煙絶ゆとも」(『拾遺和歌集』:ようするに浅間神社、ということなのですが、浅間(あさま)の場合は山自体がご神体でしょう。「あさまやま(浅間山)」は、円状の溶岩でも見え、「あさもえわやま(浅燃え輪山)」か)。