◎「たらし(誑し)」(動詞)
「たれ(垂れ)」の他動表現。垂(た)れた状態にさせること。ただし、「水を垂(た)らし」のような意味のそれではない。この場合の「たれ(垂れ)」は「跡(あと)を垂(た)れ」のような意のそれ(→「たれ(垂れ)」の項)であり、この「たらし(誑し)」は影響に感化された状態にすること。これが、だます、たくみにまるめこむ、のような意になる。
「たり(垂り)」・「たれ(垂れ)」その他動表現「たらし(垂らし)」、にかんしてはその項。「たらし(誑し)」はその意味発展的応用ということ。
「いかにやいかにや太郎冠者。たらされたはにくけれど、はやし物がおもしろい」(「狂言」『すゑひろがり』)。
「哆 タラス」(『運歩色葉集』:「哆(シ。後世の中国では、ドゥオ、のような音)」は『說文』に「張口也」とされる字。ようするに、大口)。
「たらし込む」。「女たらし」。
◎「だらし」
「であらし(出在らし)」。「あらし(在らし)」は「あり(有り・在り)」の使役型他動表現。在ること、存在すること、をさせる、の意味。「であらし(出在らし)→だらし」は、出て、存在化させること。皆が気づく情況の場へ出(で)、自己を存在化させること。これにより「だらしもない」、「だらしのない」、「だらしがない」といった言い方がなされ、助詞なしで「だらしない」とも言われる。意味には二つの系統があり、一は、何らかの原因により情況の場へと現れる勇気がない。気が臆している。他の一は、生活態度であれ服装や身なりであれ、社会一般たる情況へ一人前の存在として出て行ける状態ではない。とくに、配慮努力が欠けることによりそうなっている。たとえば服装やその着方がひどく崩れ乱れている。
「しだらない」(その項)が人のあり方が無秩序であることを表現している場合、「だらしない」の客観的現れに意味は酷似する。その結果、一般に「だらしない」は「しだらない」の転語と言われ、江戸時代にもそういわれている。しかし、両者の意味は微妙に異なり、「しだらない」は客観的状態を表現し、「だらしない」は主体特性を表現する。たとえば、部屋がよごれているのに掃除をしなかったり、戦わねばならないその時になって臆し、戦いへ向かうことを躊躇(ためら)ったりしている場合、その主体は「だらしない」であり、「しだらない」ではない。しかし、その意味作用の本質性ゆえの汎用性により、従来「しだらない」と言われた場合も「だらしない」と言われるようになり、「しだらない」は廃語になっていく。つまり、「だらしない」は「しだらない」の転語ではないということです。
「びん『サアサア敵は大軍となつて来たぜ』 熊『其時熊さん少しも騒がずサ』 亀『なんの、だらしもねへくせに』 しだらがないトいふ事を「だらし」がない、「きせる」を「せるき」などいふたぐひ下俗の方言也」(「滑稽本」『浮世床』:この「だらしない」は、情況の場へと現れる勇気がない、の意)。