◎「たね(種)」

「とはおやね(『とは』親根)」。「とは」の「と」は助詞であり思念的に何かを確認する。「は」も助詞であり何かを提示する。つまり、「とは」は思念提示であり、「~とは」と思念的になにかを提示する。その提示された思念内容たるなにかを生みそだてる親(おや)たる根(ね:現象根元・根源)が「とはおやね(『とは』親根)→たね」。多くは植物にかんして言われる(「花のたね」「大根のたね」)が、人にかんしても言われ(「子だね」)、ものごとにかんしても言われる(「話(はなし)のたね」「噂のたね」「(手品の)たねあかし」)。

「水を多み上田(あげ)に種(たね)蒔き稗(ひえ)を多み選(え)らえし業(なり)ぞ我がひとり寝る」(万2999:この「たね」は植物の種ですが、ものごとの因(イン)でもある。「上田(あげ)」は「上田(あげた)」であり、水はけの良い田。歌意は、(男と女のことにかんし)高望みしてしまい、私はそれだけの男ではなく、孤独に寝る状態になってしまった、ということか)。

「世の中の常のことわりかくさまになり来にけらしすゑし種(多祢)から」(万3761)。

「『いで、あな、めでたのわが親や。(私は)かかりける種(たね)ながら、あやしき小家に生ひ出でけること』とのたまふ。」(『源氏物語』:これは自分の血統の本(もと))。

「女鳥(めどり)の 我が王(おほきみ)の 織(お)ろす機(はた) 誰(た)がたね(因)ろかも(誰のためだ)」(『古事記』歌謡67:この「たね」は機(はた)を織るというものごとを生じさせているその因。「おろす」は、織(お)り生(お)ほす。「生(お)ほす」は「生(お)ひ」の尊敬表現。「たね(因)ろかも」の「ろかも」は(同母関係の)「ろ」の項)。

「種 …タネ」「因 …ヨル チナミ………タネ」「族 …ヤカラ タネ」(『類聚名義抄』)。

 

◎「たのごひ(手巾)」

「たのごひ(た拭ひ)」。語頭の「た」は「て(手)」の情況化表現であり、手(て)に関することであること、この場合はそれが手で持つもの、携帯するもの、であることを表現する。「のごひ(拭ひ)」は、(ごみや汚れを)拭き、取り去ること(その項)。実体はある程度の大きさの布(ぬの)であり、これを携帯する。この「たのごひ」という語は下記『和名類聚鈔』の調度部・中「澡浴具」の部分にあり、これは入浴にも用いられた。この「澡浴」は同書に「温室經云澡浴」とあり、後世のような、風呂桶に湯をわかしこれにつかるようなものではなく、熱した岩に水などかけ蒸し風呂状態にした部屋に入るようなものでしょう。「たなごひ」という語もある。「た」は「たのごひ」と同じであり、「たなきおひ(た泣き覆ひ)」か。泣く際に目を、そして顔を、覆(おほ)うもの。そのためのものというわけではなく、そうなってしまうもの。

この語は音(オン)も意味も、手拭(てぬぐひ)、に似ているわけですが、この語の変化が「てぬぐひ」というわけではなく、別語。

「晝(昼)は薬師寺の正東の門に坐し、布巾(たのごひ)を披(ひら)き敷きて、日摩尼手(にちまにしゅ)の名を稱禮す。往来(ゆきき)の人、見哀む者、銭米穀物を巾(たのごひ)の上に施し置く」(『日本霊異記』:「日摩尼手(にちまにしゅ)」は千手観音の多数の手のなかの一)。

「手巾 ………和名太乃古比」(『和名類聚鈔』)。

「帍 タナコヒ」(『類聚名義抄』)。