この語は「たなまつは(たな待つ葉)」でしょう。「たな」は「たなぐも(たな雲)」(その項・12月2日)のそれに同じ。神秘的な何かや美しい感銘をうける何かであることを表現する。「は(葉)」は時間を意味する(→「はは(母)」の項)。「ま」は濁音化して「ば」になっている。「たなまつは(たな待つ葉)→たなばた」は、神秘的なほど美しい感銘をうける待つ時間、待つ時(とき)、という意味になる。神秘的なほど美しい感銘をうける待つ時間、待つ時(とき)、とは、人々がそんな世界が自分にやってくることを待っている時間であり、未来です。遠い古代に、そんな「たなまつは(たな待つ葉)→たなばた」を人々は待ち、そこに、中国の、天河(あまのがは)で隔てられている織姫と彦星が年に一度会うという物語が伝わり、年に一度だけ会え、これを待つことと思いは重なり、この会いが「たなばた」と言われ、織姫は織物や裁縫に関係することからその方面のことも言われ、「たな」は「棚」、「はた」は「機(機織り機)」や「織物」や「端」の印象にもなり、織姫は機織り機につき機織りをしている印象にもなり…、といったことが起こっているのでしょう。織姫は「たなばたつめ(七夕つ女)」とも言われる。これは、「たなばた」たる女、のような意であり、これが、限りなく美しい未来、のような立場になっており、男は河を渡りそれに会いに行く(「織女」を「たなばた」とも読んでいる(万1545、2080、2081)。ただし、それは日本での物語であり、中国では女が河を渡り男の方へ行く(万3900(下記)では女が舟に乗っているようにも読める。これは大伴家持の歌であり、一般の人よりは漢籍に詳しいでしょう))。「七夕」という表記は、織姫と彦星が年に一度会うのが七月七日の夜だから。『万葉集』には七夕関係の歌は多数ある。

ちなみに、『古事記』歌謡7二句にある「おとたなばたの」をこの七夕(たなばた)で考えることが一般におこなわれていますが、これは「音たなばた」であり、「たな」は「たなぐもり」のそれであり全面的であることを表現し、「ばた」は轟音の擬音。音(おと)が世界全域に轟きわたることを表現する。後世の行事たる七夕(たなばた)とは無関係です。ただし、「たなまつは(たな待つ葉)→たなばた」がかかっている可能性はある。この歌はこれから起こる天孫降臨を表現するような位置にある歌なのです。

「天の川楫(かぢ)の音(と)聞こゆ彦星と織女(たなばたつめ)と今宵(こよひ)逢ふらしも」(万2029)。

「織女(たなばた:多奈波多)し舟乗りすらしまそ鏡清き月夜(つくよ)に雲立ちわたる」(万3900:この歌は「多奈波多」が女を意味し、女が舟に乗っているようにも読める。それが「たなまつは(たな待つ葉)→たなばた」という思いを意味し、男が乗っているようにも読める)。

「山上臣憶良七夕歌十二首」(万1518題詞)。