「た」は発生感を表現する→「た」の項参照(9月5日)。「たち(立ち・発ち・経過ち)」は何かが発生し現れる。発生感を感じさせる人の動態→「たち上がる」を始めとして、応用は非常に多様ですが、体験・記憶の発生、時の経過、も表現する→「時がたつ」。現象も現れる→「音(おと)がたつ」「湯気がたつ」。気(キ)も発生する→「殺気だつ」。情況に現象として現れることも表現する→「苦境に立つ」。「目立つ」は視覚的に現れる。「旅だつ」などと言う場合は、「たび(旅)」という動態それ自体の発生感を表現している。「たちのく(立ち退く)」も「退く」の発生感を表現している。「立ち寄る」の場合、発生感自体が動態感となり、何らかの動態の中に「寄る」という動態があることが表現されている。別に姿勢として立って寄っているわけではない。「腹がたつ」は激情が発生する。「ひきたつ」は印象の強さ・豊かさが発生する。「役(ヤク)だつ」は、「役(ヤク):なすべききつとめ」が発生する(現れ、現実化する)。「用(ヨウ)にたち」という言いかたもある。

「さねさし 相模(さがむ)の小野(をの)に 燃(も)ゆる火の 炎中(ほなか)に立ちて(たちて:多知弖) 問ひし君はも」(『古事記』歌謡25)。

「…晝(ひる)はも 日のことごと 夜はも 夜のことごと 立ちて居て 思ひぞ吾がする あはぬ兒(こ)故(ゆゑ)に」(万372)。

「都辺(みやこべ)に発つ(たつ:多都)日近づく飽くまでに相見て行かな恋ふる日多けむ」(万3999)。

「正月(むつき)たち(武都紀多知)春の来(きた)らばかくしこそ梅ををりつつ(乎利都都)楽しきをへめ」(万815:四句五句は、一般に、原文(西本願寺本)を書き変えつつ、「梅を招(を)きつつ楽しき終(を)へめ」と読まれている。これは「梅を折(を)りつつ楽しきを経(へ)め」でしょう。梅を折り、に関しては、少し後の歌に、折りかざし、や、手折りかざして、といった表現があり(それらはすべて同じ宴でつくられた歌)、梅の小枝を髪に飾ること)。