「~であけ(~で明け)」。「あけ(明け)」は、何かの事態が、事態続行の充実感が解放され終了することを表現する→「休み明け」「喪が明け」。「~であけ(~で明け)」は、~で何かの事態が、事態続行の充実感が、解放され終了することを表現する。「これだけ?」は、「これで明け?→これで終わり?、これで全部?」と言っている。「そんなことをしても損するだけ」は、そんなことをしても「損する」で事態続行の充実感は解放され終了する。「言ふだけのことは言った」は、言ふこと続行の充実感が解放され終了していることは言った。「彼だけがそれができる」は、「それができる」は「彼で明け」(彼で事態続行の充実感は解放され終了する)→「それができる」という事態は他の者では終了しない→「それができる」という事態は彼でしか事態続行の充実感は解放され終了しない→彼にしかできない。
「~だけに」は、~で明けた状態に、~で明けた状態なので、~で事態・問題続行の充実感が解放され終了し。「長年連れ添った夫婦だけになかなかそうはいかない(簡単には離婚できない)」は、長年連れ添った夫婦ということで明ける状態で、離婚してはどうかという問題続行の充実感が解放され終了し、簡単には離婚できない。いろいろなことはあっても、長年連れ添っていれば、離婚など簡単にはできない(夫婦とはそういうものだということはおわかりいただけるでしょう)。
「我子を我育(そだつ)るには、少ゝの怪我させても不調法が有ても親だけで濟共(すめども)人の子にはな、ぎり(義理)も有情(なさけ)も有」(「浄瑠璃」『平仮名盛衰記』)。
「さすがハ田舎だけ、ものがふ自由だ」(『東海道中膝栗毛』:田舎であるということで問題続行の充実感は解放され終了し→田舎とはそういうもので)。
「…戸棚の鍵迄預けしは、小(ちひさ)いからの馴染(なじみ)だけ我が子のやうに思はれて、…(「浄瑠璃」『重井筒』:この例も上記『東海道中膝栗毛』も「だけに」と言っても意味は変わらない)。
「お父さんは身を約(つ)めて財産(かね)をお作んなすッたゞけに分限を知つて質素な家風を残して置いて下すつたから…」(『社会百面相』)。
・この「~だけ」と混乱する表現に「~たけ」がある。「とてもかう成るからは山の奥にも身を隠し、遁(のが)るるたけは遁(のが)れもせず京近邊を狼狽(うろた)へ、今の間に召捕られ…」(「浄瑠璃」『大経師昔暦』)。これは「遁(のが)るるだけ」ではなく、「遁(のが)るるたけ」でしょう。この「たけ」は「身の丈(たけ)」などのそれであり、この場合はものごとの発生成長頂点域。「なるたけそうして」などの「たけ」もそれ。