◎「た」(3)

「とおや(利親)」。「や」の子音は退行化し「た」の一音になっている。「と(利・鋭)」は、効果的、の意(→「と(利・鋭)」の項)。「とおや(利親)→た」、すなわち、効果的な親、とは、導きになり頼りになるもの・こと、ということ。つまり、この「た」は、「たより(頼り)」や「みちびき(導き)」のような意。この語、「ため(為)」の変化や古い語形かと言われる。

「比止乃微波衣賀多久阿礼婆乃利乃多能与須加止奈礼利都止米毛呂毛呂須々賣毛呂母呂 (人の身は得がたくあれば法(のり)のたの縁(よすが)となれり努(つと)め諸諸(もろもろ)進(すす)め諸諸(もろもろ))」(「仏足石歌」)。

「種種(クサグサ)ノ法(ノリ)ノ中(ナカ)ニハ、佛(ホトケ)ノ大御言(オホミコト)シ国家(ミカド)護(マモル)ガタ(多)ニハ勝在(スグレタリ)ト聞召(キコシメシテ)」(『続日本紀』宣命)。

「龍(たつ)の馬(ま)を吾(あれ)は求めむあをによし奈良の都に来む人のたに(許牟比等乃多仁)」(万808)。

「足柄(あしがり)の安伎奈(あきな)の山に引こ(く)船(ふね)の後(しり)引かしもよここば(こんなにも)娘(こ)がたに(許己波故賀多爾)」(万3431:娘(こ)が自分が生きることの導きのような状態になっている。それがなくては生きていけない状態になっている。そこから遠ざかることには山に船を引きあげていくような後ろへ引かれる抵抗がある。「安伎奈(あきな)の山」は、そういう山がどこかにあったのかも知れないが、詳細は不明。これは東歌であり、「引(ひ)こ船(ふね):比古布禰」という表現にかんしては万3423に「降(ふ)ろ雪(よき):布路與伎」という同じような方言的変化がある)。

 

◎「た(誰)」

「ひとは(人は)」。「とは」が「た」になり「ひ」は脱落した。「人は…」と人は認知されているがその個別的同定がない―そんな表現条件下にあることが表現され、具体的同定不明な人を言っていることが表現される。

「御諸(みもろ)に 築(つ)くや玉垣(たまがき) 斎(つ)き余(あま)し たにかも寄らむ 神の宮人(みやひと)」(『古事記』歌謡94)。

「防人に行くはた(多)が夫(せ)と問ふ人を見るが羨(とも)しさ物思(も)ひもせず」(万4425)。

「あれはた(誰)そ」。