◎「そばみ(側み)」(動詞)

「そば」の動詞化であり意思動態的に「そば(側・傍)」(8月8日)になることですが、「そば」が「そふは(沿う端)」の場合も「そふま(添う間)」の場合もある。

・「そふは(沿う端)」の場合、重心が端へ寄るような印象になる(傾きもする)。

「恥ぢらひて少しそばみ給へるかたはらめ」(『源氏物語』:「かたはらめ」は傍(かたは)らから見た様子)。

「うちそばみて書い給ふ手つき」(『源氏物語』)。

事象内容の印象が偏(かたよ)っていることも言う。順直な対応ではなく、斜めになった、素直さに欠けた(たとえばすねたりする)ものであることも表現する。

「何やかやともそばみ聞こえ給はで」(『源氏物語』:「そばみきこえ」は、表情をそむけた、すねたような、不満げな、ことを言う、ということでしょう。「きこえ」は源氏への謙譲)。

・「そふま(添う間)」の場合、近接影響域の状態になる。

「さしのきてそばみて居ぬ」(『今昔物語』:少し離れたところに居た)。

 

◎「そばめ(側め)」(動詞)

「そばみ(側み)」の他動表現。つまり「そばみ(側み)」と「そばめ(側め)」は他動表現と自動表現の関係にある。「そば」が「そふは(沿う端)」の場合も「そふま(添う間)」の場合もある。

・「そふは(沿う端)」の場合、自分がそうなる場合も他者をそうする場合もある。

自分がそうなる場合、とは客観的対象の自動表現です。社会的に重心がずれ偏った印象になっていることを表現する。

「うちとけたる世なく、ひきつくろひそばめたるうはべ」(『源氏物語』)。

「姫は耳をそばめはづかしげにうつぶき」(「御伽草子」『のせ猿草子』)は耳を重心から(相手に対し直視的に向けることから)ずらしたような印象にする。そのように自分をそうしそうなる表現として「目をそばめ」がある。相手を直視せず、重心をずらしたような視線で見る。「この院に目をそばめられ奉らむことはいと恐ろしく」(『源氏物語』)。

他者をそうする場合、とは、他者を社会的に重心がずれたような状態にする。これを疎(うと)んじ遠ざけたりする。

「楊貴妃にそばめられて六十まで帝にも見え奉らで」(『奥義抄』)。

・「そふま(添う間)」の場合、何かを身近に引き寄せたり何かに寄せたりする。

「太刀を抜き、ひきそばめて近づき」(『保元物語』)。

「兵共大きにおそれ奉り、弓をひらめ、矢をそばめて通し奉る」(『平治物語』)。

 

「そば目(め)」という名詞もあり、この「そば」にも「そふは(沿う端)」の場合と「そふま(添う間)」の場合がある。