◎「そなはり(備はり)」(動詞)
「そなへ(備へ)」の自動表現。備へた情況にあること。「かへ(変へ):他」「かはり(変り):自」、「つたへ(伝へ):他」「つたはり(伝はり):自」、のような変化。
◎「そなひ(備ひ)」(動詞)
「しをにあひ(為をに合ひ)」。「を」も「に」も助詞。「為(し)を」(そうすべきだ、そうありたい、そうあってほしい)と誰もが理想的に思うことに合ひ、という表現。
「しろたへの袖(そて)着そなふ(蘇那布)手腓(たこむら)に…」(『古事記』歌謡97)。
◎「そなへ(備へ)」(動詞)
「しをにあへ(為をに合へ)」と「そをにあへ(そをに合へ)」がある。
前者「しをにあへ(為をに合へ)」は「そなひ(備ひ)」(その項参照)の客観的対象の自動表現であり、だれもが理想的に思う状態になっている。
「三十(みそぢ)余り二つの姿そなへたる昔の人(仏陀のこと)の踏める跡ぞこれ」(『拾遺和歌集』)。「才能をそなへ」。
後者「そをにあへ(そをに合へ)」は、「そ」は何かを指し示し、起こるであろう事態を思い、対策を思い、対策として「それを」と要求する「そを」に合わせる。それが「そをにあへ(そをに合へ)→そなへ」。
「私(ひそか)に兵(つはもの)を備(そな)ふと聞こしめして」(『続日本紀』宣命)。「万が一にそなへ」。
◎「そなへ(供へ)」(動詞)
「そふにあへ(添ふに饗へ)」。何かに添う(それに加わる)ようにそれをもてなす。
「御年(みとし)の皇神(すめかみ)の前に……種種(くさぐさ)の色物をそなへまつりて(備奉弖)…」(「祝詞」『祈年祭』:「御年(みとし)」は自然の実りの意。年(とし)の廻(めぐ)りで実るから)。
「仏前にそなへ」。「おそなへもち(御供へ餅)」。