「しふみいえ(為踏み癒え)」。「しふ」は「す」になり「みいえ」が「べ」になっている。「ふみ(踏み)」は実践すること(→「ふみ(踏み・践み)」の項)。「いえ(癒え)」は安堵すること、ここでは安堵は満足によって起こる。この語は「言はむすべなし」「言はむすべ知らず」といった言い方がなされますが、「言はむすべなし」は、「言はむ、し(為)、踏(ふ)み癒(い)えなし」→言おう、とは為(し)、そうはしているが、それを踏(ふ)み、実践し現実化し、癒(い)える、なしとげた、と満足する、ことがない。言おうとはしているが、そのためにはどうしたらよいのか、どうすればよいのか、わからない。この表現が、どうすればそれが現実化するのか、そのあり方・方法、を意味することになる。「すべのたづき・たどき」は、すべとなる頼りになること・たしかに信頼できること。「すべもすべなし」は、どのようなすべをもってしてもすべはない→どうしようもない。

 

「言はむすべせむすべ知らず極(きはま)りて貴きものは酒にしあるらし」(万342)。

「はしきよしかくのみからに慕ひ来し妹が心のすべ(須別)もすべなさ」(万796:これは慕うように大宰府に来、その地で死んだ老いた妻を思っての大伴旅人の歌であり、万794の長歌に「言はむすべ せむすべ知らに 石木(いはき)をも 問ひ放(さ)け知らず(伊波牟須弊 世武須弊斯良爾 石木乎母 刀比佐氣斯良受)」という表現がありますが、妻の思い、心を思うと、もはや言葉もない、ということ)。