「すべあるやあやし(術有るや怪し)」の音変化。「すべ(術)」は、なにごとかをなし得る手段・方法・やり方。「すべあるやあやし(術有るや怪し)→すばらし」、すなわち、そのなにごとかをなし得る手段・方法・やり方があるかどうか怪(あや)しい、とは、「すべなし(術無し)」の諦(あきら)めや絶望には抵抗しながら「すべなき(術無き)」事態はそこにあることを表現する。自分の対処能力を超えた事態に遭遇している(A)。また、それは人智・人事を超越した事態への遭遇も表現しそうしたもの・ことに遭遇した感嘆も表現する(B)。この後者(B)のような用い方の「すばらしい」が後世では一般的になっていきますが、こうした意味変化は幕末か明治初期ころにあらわれているものとおもわれます(下記※)。この(A)から(B)への変化は悲しい「すべなし」が輝く「すべなし」になるような変化ですが、幕末から明治初期にかけ社会的な高揚変動があったということでしようか。
「浪浪の身となり、かかるすばらしき店に面(つら)をさらすは」(「談義本」『当世穴噺(とうせいあなばなし)』(1771年):どうしようもないような店、のような意味)。
「お主も、この女ゆゑにやア、すばらしい苦労して今の身の上、切られ與三郎とか云はれる身體(からだ)」 (「歌舞伎」『與話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)』(1853年初演):ここで言う「すばらしい苦労」とは、ある美女に心を惹かれやくざ者になぶり斬りにされ死にそうなめにあうこと)。
「太閤秀吉公の智謀なんぞといふものはすばらしいね」(『安愚楽鍋』仮名垣魯文(1871~72(明治4~5)年刊))。
「『What a wonderful World・この素晴らしき世界』」(アメリカの音楽曲名とその日本語訳)。
※ アメリカ人ジェームス・カーティス・ヘボンによって編纂された『和英語林集成』(1872年)の「Subarashii(スバラシイ)」の項目には、A superlative(最高・無上の)、very(非常に)、extremely(極度の)、splendid(輝かしい)、grand(雄大な)、magnificent(壮大な)といったことが書かれ(つまり、輝かしさや偉大さが通常の人事を超えていることが表現され)、同意語として、HANAHADA(はなはだ)、が書かれている。「はなはだ(甚だ)」は際限がないことであり、良いことにも悪いことにも言う。ちなみに、この『和英語林集成』は明治期の日本におけるベストセラー辞書です。