「しる」は「しれゐ(知れ居)」。これに関しては「しるし(印(徴・験)・記し)」の項(2月3日)参照。「しるし(著し)」はその形容詞化であり、知られていなかったことが知られたということの感銘がものごとの明瞭感、それをそれとして際立たせる明瞭感を表現した。これは「験」(「しるし(印(徴・験)・記し)」の項)の明瞭感も表現する。この形容詞はク活用ですが、語頭に「いち」(下記)が付き「いちしるし(著し)」になった場合、「いちしるく」のようなク活用だったのですが、感銘的に「し」の音が入り「いちしるしく」(濁音化して「いちじるしく」)のようにシク活用に変化する(→「いちじるし(著し)」の項・2020年1月1日)。

「我が夫子(せこ)が来(く)べき宵(よひ)なりささがねの蜘蛛(くも)のおこなひ是宵(こよひ)しるしも(辭流辭毛)」(『古事記』歌謡65)。

「秋の野の草花(をばな)が末(うれ)を押しなべて来(こ)しくもしるく逢へる君かも」(万1577:「来(こ)しく:来之久」は、動詞「来(き)」にいわゆる過去回想の助動詞と言われる「き」(連体形「し」)がついている場合のク語法。この「し」が「来(き)」につく場合、それは「きし」にも「こし」にもなる(→「し(助動・過去回想)」の項・2022年8月25日)。また、動詞に過去回想の助動詞「(終止形)き」がついている場合のク語法は「~しく」になる。つまり、文法的に言えば、過去回想の助動詞「き」の連体形「し」に「く」がついています、という状態になる。なぜ「し」なのかというと、S音の記憶再起性が表現されるから(たとえば動詞「寝(ね)」の場合、「寝(ね)しく」になり、「寝(ね)けく」などにはならない)。つまり、「来(こ)しくもしるく」は、来た世界が別世界が開けたように明瞭な印象で明け、ということ)。

「大伴(おほとも)の遠(とほ)つ神祖(かむおや)の奥城(おくつき)はしるく(之流久)標(しめ)立(た)て(多弖)人の知るべく」(万4096:この「多弖(たて)」は「たち(立ち)」の他動表現ではなく、「たち(立ち)」の命令であり、世や歴史に向かい、明瞭に識別され占有を、それは大伴だということを、人々が知るようになれ、と言っているのでしょう)。

「世の亂るゝ瑞相とかきけるもしるく、日をへつゝ世中うきたちて、人の心もをさまらず、…」(『方丈記』:~とか聞いたその通り)。

 

◎「いち」

進行感を表現する「い」による「いつ」という動詞があったと思われます(「いたり(至り)」の項(下記)参照)。この「いち」はその連用形ですが、進行に完成感のある、不完全感を排した、突出感を表現する。「いちはやく(いち早く)」。「いちじるし(著し):その「いち」と形容詞「しるし(著し)」」。古語には「いちしろし(著し)」などもある。「イチヤク(一躍)」などの「イチ」は中国語「一」の音(オン)です。

◎「いたり(至り)」(動詞)                                                                                                          

進行感を表現する「い」による「いつ」という動詞があったと思われます。「い」は進行感を表現し、「つ」はそれを思念的に確認する(同動感を表現する→「つ(助動)」の項)。この動詞により「いと(甚)」、「いたり(至り)」、「いたし(致し)」、「いちじるし(著し)」、「いちはやし(いち速し)・いち早く」等の言葉が生じている。動詞「いつ」は情況の進行、程度の進行を表現し、進行に同動的(客観的にある状況と主観的な認めが同動する)完了感 (確認的結了感)を生じさせる。究極まで、極限まで、行きつくことに完了感が生じる。その「いつ」の自発動態が「いち」、何かを極限まで進行させるその他動態が「いて」、その「いて」が有るという動態のその自動態が「いたり」。活用語尾K音の同じような変化として「いき(生き)」(自動)、「いけ(活け)」(他動)、「いかり(生かり)」(自動)、「いかし(生かし)」(他動)がある。この「いたり(至り)」は「いたし(致し)」と自動・他動の関係にある。「いたり(至り)」は、極限・究極まで進行する情況になること。

「遠くして雲居(くもゐ)に見ゆる妹(いも)が家(へ)にいつかいたらむ歩め黒駒(くろこま)」(万3441:本文細注の方の歌)。