◎「しはぶれ」(動詞)

「しひあぶれ(廃ひ溢れ)」。この「しひ(廃ひ)」は知的能力の無効、機能不全、すなわち、無知であり愚かであること。「あぶれ(溢れ)」は飽和が頂点に達し限界を超えること。廃(し)ひて世に溢(あぶ)れた状態になっているとは、そんな廃(し)ひた者、それほどに知的能力が無効化した者はほかにいない、ということであり、とんでもなく愚かなありさまで、この世にこれ以上愚かな者はいないという様子で、ということ。

「帰り来てしはぶれ(之波夫禮)告ぐれ」(万4011:しはぶれて告げ。『万葉集』において、大伴家持が、大切にしていた鷹を勝手に持ち出し逃してしまい起こった事態を告げた「醜(しこ)つ翁(おきな)」をこう罵(ののし)っている。相当に激怒したらしい)。

 

◎「あぶれ(溢れ)」(動詞)

「あみふれ(余み狂れ)」。動詞「あみ(余み)」に関しては「あまし(余し)」の項(2019年7月21日)。意味は虚無感のある飽和的な状態になること。「ふれ(狂れ)」は遊離し逸脱した情況になっていることを表現する(→「ふり(生り・振り)」の項)。慣用的に漢字では「狂れ」と書きますが、ここでは気が狂っていることを意味しているわけではありません。「あみふれ(余み狂れ)→あぶれ(溢れ)」は、何かが飽和的な状態になり(秩序内に安定的におさまる状態ではなくなり)遊離し逸脱した情況になること、何かがある秩序の飽和に達し(秩序内に安定的におさまる状態ではなくなり)その秩序から逸脱してしまうこと。物的な逸脱(→「容器から水があぶれ」)も言い、社会的な逸脱も言う(→「あぶれ者」)。この動詞は「あふれ」とも言いますが、これはもともと濁音はさほど強いものではなく、「あぶれ」は社会的な秩序に適合できずそこから逸脱してしまうことを意味して用いられ、一般的な逸脱は、「あふ」という清音の方が動態情況に適応的でもあり、清音が一般的になったのでしょう。

他動表現に「あぶし」がある。意味は、遊離し逸脱した情況にさせること(→「さしも深き御心ざしなかりける(女性)をだに、落としあぶさず、取りしたためたまふ(配慮する)御心長さなりければ…」(『源氏物語』))。

「大中姬(おほなかつひめ)の捧(ささ)げたる鋺(まり)の水(みづ)溢(あふ)れて腕(たぶさ)に凝(こ)れり」(『日本書紀』)。「水を出しっぱなしにし浴槽から水があふれていた」。

「溢 …アブル コボス(ル) アマス…」(『類聚名義抄』)。

「『…また、(浮舟が)見苦しきさまにて世にあふれむも、知らず顔にて 聞かむこそ心苦しかるべけれ…』」(『源氏物語』:この「あふれ」は、浮舟がそこにある、そして、あるはずの、秩序から浮舟が逸脱してしまう→零落したりし、みっともない状態になる、ということでしょう)。

「皆物具して我も我もと馳せ参る………にあぶれゐたりける兵共、あるいはよるひ着ていまだ甲を着ぬもあり、あるいは………少しも弓箭に携らんほどの者一人も洩るるはなかりけり…」(『平家物語』:これは、あふれるほど武士たちが参集したということ)。

「此あぶれをおやぢ聞つけ、後ともいはせず勘当、丸はだかで追出す」(「浮世草子」『諸国心中女』:この「あぶれ」は放蕩息子が大金を借りて遊び歩くこと)。江戸時代、駕籠かきなど、賃仕事をたのんだ後に解約した場合にだす賠償金を「あぶれ」とも言った。これは、仕事にあぶれたことの損害賠償ということであり、今で言えばキャンセル料。