◎「して」
「し(為)」は動詞であり、「て」は思念的確認や同動があり経過していく助詞です。基本的にはそれだけなのですが、ここでの「して」は、動詞「し」の働きが、たとえば「勉強してから」のそれのような、個別的具体的、日常的動態を表現するそれとは異なる。この「し」は、S音の動感とI音の進行感により一般的抽象的、理念的動的進行感が表現されるそれ(理念作用自体の変動変化)であり、たとえば「人間としてあるべきことではない」の「~として」の「し」は、人間をする、という個別的具体的動態があるわけではなく、人々の記憶として形成されている人間としての、現れる一般的、理念的動態が表現される。接続詞「そして(原形は、さうして)」の「し」などもそうであり、一般的理念変動が起こっている(「彼はこの地で五十年過ごし、そして…」「彼そして私は…」)。
「AしてB」(たとえば「この殿よりして今の大臣まで」)の場合、「この殿」を経験経過し殿(との)として理念的に一般的に動態が進行して、という意味になる。
理念的一般的動態が否定表現であることもある。「~ずして」(「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(『方丈記』))。
理念的一般的動態が形容表現(形容詞)の場合連用形になり(「風強くして」)、Aが名詞であれ動詞連用形であれ形容詞であれ情況表現自体であれ、Aに続き「に」「と」「から」「より」「のみ」「を」などの助詞が入ることもある。「面白くして古(いにしへ)思ほゆ」(万1240:(景色が)面白く(興味深く素晴らしく)古(いにしへ)が思われる。面白いという一般的動態が進行し…)。「巧みにしてほしきままなるは失(シツ)のもとなり」(『徒然草』:技術的にすぐれているという一般的動態が進行し自由に望むままにことを行えば何かを失う)。「旅にして衣貸すべき妹(いも)もあらなくに」(万75:旅という一般的動態が進行し、旅ゆえに、衣を貸してくれる妹もいない)。
「この殿よりしていまの閑院大臣まで太政大臣十一人続き給へり」(『大鏡』:「この殿」を経験経過し殿(との)として理念的に一般的に動態が進行して、いまの閑院大臣まで太政大臣が十一人続いた)。
「AしてB」は、BがAの理念的一般的動態進行下で動態経過するわけですが、これは、Aが動態Bの素材であることも表現し、素材であることは使役で使うことも表現し同動も表現する。「血して書き」は血で書く。「八重葎(やへむぐら)して門(かど)させりてへ」(『古今集』:「八重葎」で門を閉ざしたようになっている。「てへ」は「~てふ(~と言ふ)」の命令形や已然形)。「楫(かぢ)取りして幣(ぬさ)たいまつらす」(『土佐日記』:使役。「楫(かぢ)取り:船頭」に幣(ぬさ)をたてまつらせた)。「二人して行く」は二人で行った(同動)。
◎「しづり(垂り)」(動詞)の語源
「しひつつふり(廃ひつつ触り)」。「しひ(廃ひ)」は存在維持機能が不全になること。現状で存在できなくなること。そうなりながら何かに触れ続ける。何かにしがみつきながら落ちていくような状態。それが「しひつつふり(廃ひつつ触り)→しづり」。この語は「しづれ(廃ひつつ触れ)」にもなる。「雪しづり」(木の枝から積もった雪が滑り落ちること)。「なけきよりしつるなみたのつゆけきにかこめにものをおもはすもかな(嘆きよりしづる涙の露けきにかごめ(香籠め?)にもの思わずもがな)」(『聞書集』)。