「しかすがかはに(然為が『彼』はに)」。「す(為)」は動詞「し(為)」の終止形であるが、「しかす(然為)」は、何の疑いもなくなんらかのことがあること(→「しか(然)」の項・9月3日)。次の「が」は所属を表現する助詞(「母が手(母の手)」)。何が「しかす(然為)」に所属しているのかというと、「か(『彼』):あれ」です。「は」なにごとかを提示する助詞の「は」ですが、単なる提示も詠嘆になる。「しかす(然為)」(何の疑いもなくあること)にある『か(彼):あれ』は…と、あるはずのない、期待になかった、なにものかやなにごとかをたしかに見たり、聞いたりすることにより知り、意外感にとらわれた状態になり…、ということが「しかすがかはに(然為が『彼』はに)→しかすがに」。語尾の「~に」は、楽しそうに笑ふ、などのような、動態を形容する、いわゆる、副詞的な「に」。
「さすが」という語がある。これには、期待通りであることを表現するそれ(「さすがに横綱は強い」)、と、意外であることを表現するそれ(「さすがに横綱も病気には勝てない」)、の二種がありますが(→「さすが」の項・6月30日)、この「しかすがに」という語は、そうではないと思われるかもしれないがそうで、といった意味の用い方をされるようになり、この「しかすがに」が用いられる場面は、やがて、前記後者の、意外であることを表現する「さすが」による「さすがに」と言われるようになっていく→「かくしつつ 暮れぬる秋と老いぬれど しかすがになほ ものぞかなしき」(『新古今和歌集』)。
「風交(まじ)へ雪は降りつつしかすがに霞たなびく春さりにけり(春がやって来ている)」(万1836:世界は疑いもなく冬。そこに、霞(かすみ)がたなびいていることを知る(霞は春を告げる))。
「つきよめば(暦のうえでは)いまだ冬なりしかすがに(之可須我爾)霞たなびく春立ちぬとか」(万4492:これも言っていることは同じようなこと)。
「妹(いも)といはば無礼(なめ)し恐(かしこ)ししかすがにかけまく欲(ほ)しき言にあるかも」(万2915:これは、そんなことをするのか、という意外感。そんな意外な、あるいは、無礼(なめ)く不快な、ことであったとしても、あなたを私の妹(いも)と言いたい。この「しかすがに」の原文は「然為蟹」と書かれている)。
「まとろまぬものからうたてしかすかにうつつ(現実)にもあらぬ心地のみする」(『御撰和歌集』:「ものから」は、ものながら、と言いかえると現代人にも分かりやすい。「うたて」はあきれ果てたような状態になること)。
「同胞(はらから)一斉(ひとしく)討死(うちじに)せんは、大きなる不孝なり、とかへすがへすも誡(いましめ)たる、兄(あに)が言語(ことば)の耳底(みみそこ)に、とどまりながらしかすがに、とどまりがたき胸を拊(なで)て」(『椿節弓張月』:この、しかすがに、は上記、さすがに、と変わらない)。