「しきあけゐして(為き明け居為て)→しかくして」の音便。「けい」が「く」の音になっている。語頭の「し(為)」は動詞、つぎの「き」は過去の助動詞「き」の終止形と言われるそれ。「あけゐ(明け居)」は、為(し)た、という状態が明(あ)けた、それが済んだ、状態にあり、の意。それらを「為(し)て」、すなわち「しきあけゐして(為き明け居為て)→しかくして→しかうして」とは、ある(なにごとかの)ことがあって、そして、ということ。まれに、あるのに、という逆接表現もある。「しかうじて」もあるが、これは「しかくにして」であろう。これは漢文訓読系の語。

「伍子胥(ゴシショ:人名)願ひし如く(死刑になった伍子胥が生前願ったように)、(その)二つの眼(まなこ)を抜きて、東門に掛け置きたり。しかうじて後、悪事いよいよ積もれども、伍子胥(ゴシショ)が果てを見て、敢へて(王を)諌むる臣下もなし。浅ましかりし有様なり」(『曽我物語』巻五「呉越の戦の事」:順接)。

「水を飲めば渇(かわ)きが歇(と)まるが、しかし水は台所より外には無い。而(しかう)して台所は二階には附いてゐない」(『浮雲』二葉亭四迷:逆接)。