◎「しか」

「それしかない」などの「しか」。「しかへは(し代へは)」。「し」は「副助詞」と言われるそれ→「し(助)」の項(8月27日)。「しかへは(し代へは)→しか」は、運命的・必然的に代え(代替)は無い、ということ。「そうするしかない」「やるなら今しかない」。これが、それだけがある限界存在性を表現し「500円しかない」「方法はそれしかない」といった表現もなされるようになった。<br/>

「『おいらがつかいこんででもいるとしかおもはねへはナ』」(「洒落本」『角雞卵』「後夜の手管」)。

「夫レから金の才覚をしてみた所が持チ合が十九両しかないのさ」(「洒落本」『南門鼠』)。

「『錆(さび)が悪く錆込んで、地鐡(ぢがね)へ廻(まは)つたから潰(つぶ)しにしかならねへ』」(「滑稽本」『浮世床』)。

 

◎「いつしか」

「いつするいか(何時為るいか)」。「いつすりか」のような音がR音は退行化し「いつしか」になっている。

「いつ(何時)」は進行のあり方を表現し、この場合はことの過去や未来の不定時の「あり」を表現する→「いつ(何時・常)」の項(2020年1月6日)。

「する(為る)」は動詞「し(為)」の連体形ですが、次の「い」は代名詞のようなそれであり、この場合は「こと」を意味する→(代名詞のような)「い」の項(2019年10月8日)。語尾の「か」は疑問。疑問が生じるということは不明、を表現する。「いつするいか(何時為るいか)→いつしか」は、いつ動態のあるそれ(こと)か、ということであり、ことのあること、あった、ことの不定時性・時間的不明性を表現している。その時間的関係は過去のこともあれば、未来のこともあり、具体的なあることに関し、そのことの時間的不適格性(それがそのときにあるのはふさわしくないということ)も表現する(いつするそれだ、が非難めいた口調になるわけです)。

「此月頃間(このつきごろのほど) 身勞須止聞食弖(身(み)勞(つから)すと聞(きこ)しめして) 伊都之可病止弖參入岐(いつしかやまひやみてまゐりて) 朕心毛慰米麻佐牟止(あがこころもなぐさめまさむと) 今日加有牟(けふかあらむ) 明日加有牟(あすかあらむ) 止所念食都都(とおもほしめしつつ) 待比賜間尓(またひたまふまに)…」(『続日本紀』宣命:これは未来。いつか健康を回復すると期待した)。

「日のいとうららかなるに、いつしかと霞(かす)みわたれる梢(こずゑ)どもの、心もとなきなかにも、梅はけしきばみ…」(『源氏物語』:これは不思議な表現であり、過去であり、いつのまにか、とも読める。未来であり、自然の力や人の思いのようなものが、いつか春になる、と霞(かすみ)となって現れているようにも読める)。

「(紫上は)いつしか、雛をし据ゑて、そそきゐたまへる(いそがしげにしている)」(『源氏物語』:これは過去。いつのまにか)。

「新帝は今年三歳『あはれいつしかなる譲位かな』と時の人々囁き合はれけり」(『平家物語』:いつするこれだ、のような表現なわけであるが、新帝三才で譲位はことが不適正だ、ということ)。