◎「しあはせ(仕合はせ)」(動詞)
「さて宇都宮はよくもしあはせたるものかな。さりながら…」(「御伽草子(猿源氏草子)」:(猿源氏が)よく宇都宮弾正殿の様子・調子に合わせた、よく似せた(よく化けた)、のような意)。
「酒のとき座敷などにて土器(かはらけ)の物を貴人より下され候を両の手を出すこと口惜し。ひけう(卑怯:卑しく懼(お)ぢている)なるしあはせなり」(『食物服用之巻』室町時代の食事作法書:やり方、作法、のような意で言われている。これは動詞「しあはせ(仕合はせ)」の連用形名詞化たる「しあはせ」)。
◎「しあはせ(成り行き・幸福)」
語頭の「し」は「し(為)」ですが、一般的な動態進行を表現し、この「しあはせ(成り行き・幸福)」の「し」は個別的・具体的なことの成り行きを表現する場合と、自然や宇宙の運転・変転を表現する場合がある。「しあはせ(し合はせ)」はその「し」との合わさり、その「し」と調整されたあり方、ということですが、前者、すなわち個別的・具体的な「し」との合わさりはその願いを叶えるものであり「しあはせが良いよい」場合もありますが、そうではない「しあはせが良くない・しあわせが悪い」場合もある。しかしそれが自然や宇宙の運転・変転である場合、「しあはせ」がなければ主体は存在せず、そこにはただ「しあはせ」だけがあり、『しあはせだ…』と確認することが存在安堵の深い感嘆表明になる(つまり、「しあはせ」には動詞「しあはせ(仕合はせ)」(上記)の連用形名詞化たるそれと、この項の二種のそれ(個別的・具体的な「し」と自然や宇宙の運転・変転である「し」)との三種があるということです)。
「近きうちに(宇都宮の)在京あるべきよし聞きてあれば、よきしやはせなり」(「御伽草子」:宇都宮のふりをして、大名でなければ会えない上臈に会うことを考えている)。
「わかき時は学問して功名を立んと思たれば、何とやらん、しあわせわるうて…」(『中華若木詩抄』)。
「其の科(とが)のがれず。終(つひ)には捕えられて此(この)仕合(しあはせ)とかたる」(「浮世草子」)。
「『すれば和御料(わゴレウ:あなた)は仕合(しあはせ)なものぢゃ』」(「狂言」:これは、運がいい、というような意味であり、狂言ではこの言い方で良い気分にさせ「末広がり(扇)」だと言ってありきたりな傘を売りつける。「和御料(わゴレウ)」は正式には「我(わ)が御寮(ゴレウ:ともがら・仲間)」)。
「くはほう(果報)なる耳付、仕合(しあはせ)のそなはりし目の中」(「浮世草子」)。