尊敬の助動詞と言われる「し」。動詞語尾をA音化・情況化し、その情況化した動態にS音で動感を生じさせることにより、情況が動いたという間接表現になり、その表現の間接性が遠慮表現・尊敬表現となる、という表現がなされる「し」です。たとえば、「取り」ではなく「取らし」と言った場合、取る情況が進行し、という表現になり、主体の動態を直接に表現しない、間接的な表現となり、この表現の間接性が、動態主体への遠慮・敬い・尊敬を表現する。この語が四段活用動詞の活用語尾のように活用変化する。
「御(み)執(と)らしの梓の弓の…」(万3:お取りになる、お使いになる、弓)。
「わが背子は仮廬(かりほ)作らす…」(万11:お作りになる)。
この「し」による尊敬表現は、語尾A音化・情況化によりその動詞の働きや本質が破壊される場合は行われませんが、その努力は生じる。たとえば、動詞「し(為)」「き(着)」「み(見)」の場合、すなわち一音で動態が表現されている場合、A音化すればその意味性は失われますが、A音化による情況化と動詞本来の働き保存の要請が妥協し、それらはE音化し「せし(為し)」「めし(見し)」「けし(着し)」と表現され、そのうち「めし(見し)」は独律した動詞「めし(召し)」となり、これは歴史発展的に「めし(飯)」という言葉にもなっている(動詞がE音の場合、動詞「ね(寝)」はA音化し「なし(寝し)」になるということが起こっている。「…枕(まくら)とまきて寝(な)せる(奈世流)君(きみ)かも」(万222))。
「吾(わ)が背子(せこ)がけせる(着せる:盖世流)衣の針目落ちず…」(万514:「けせる(着せる)」は動詞「着(き)」に尊敬の助動詞「し」がつきさらに完了の助動詞「り」がついたその連体形。「り」がつくとなぜ語尾がE音化するのかは「り(助動)」の項参照)。