過去・回想の助動詞「き」の連体形と言われる「し」。S音の動感とI音の進行感、それによる動感進行の現実感(指し示しに現れるそれ)により記憶の想起・再起が起こる→「ありし日」。この「し」は文法的には過去・回想の助動詞「き」の連体形と言われますが、「き」(終止形)が「し」(連体形)に(逆に「し」が「き」に)活用変化するわけではありません(文法書では活用表にそれら各々がそれら各々の位置に書かれるわけですが、それらはある語が活用してそうなっているわけではない)。動詞の場合、終止形と連体形は同形であるか連体形にはそこに情況を表現する「る」がつくかすることが一般であり、例外は「有り(助動詞の「り」)」だけです(「をり(居り)」も、全体を動詞として把握した場合、同じ活用になる)が、文法ではこの助動詞「き」は活用し終止形は「き」連体形は「し」という文法構成がなされるのが一般です(已然形「しか」も言われ、未然形「せ」が言われたりもする→「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(『古今集』:これは「なかりき」と言われるような場面であり、「~ば」は未然形につくから「せ」は助動詞「き」の未然形だ、という論理展開→「き(助動)」「しか(助動)」参照。同じような論理で、「枕(ま)かずけば(祁婆)こそ…」(『古事記』歌謡62)といった表現から、未然形「け」が言われることもある。この「け」は「~きえむは(~き得むは)→けば」。「~ずけば」は「~ずきえむは(ずき得むは)」(~ではない、ということなら:古くは「~ずき」「~ずけり」という言い方があった))。

この「し」は動詞「き(来)」につく場合、動詞は「きし(来し)」にも「こし(来し)」にもなる。「きしかたゆくすゑ(来し方行く末)」「こしかたゆくすゑ(来し方行く末)」どちらもある。これは「き(来)」という動詞が存在と不存在の交感を生じるような、事実確認と推想が同時に作用するような、作用を果たしており、動態が事実確認されれば「きし(来し)」になり推想が目標感をもって表現されれば「こし(来し)」になるということです。動詞「し(為)」につく場合は動詞は「しし」にはならず「せし(為し)」になる。これは、動詞「し(為)」は活用の基本は下二段活用型だからということです→「し(為)」の項(8月24日)参照。

「さねさし相模(さがむ)の小野(をの)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし(斯)君はも」(『古事記』)。

「香久山(かぐやま)と耳梨山(みみなしやま)とあひし(之)時立ちて見に来し(之)印南國原(いなみくにはら)」(万14:これは「香久山は畝火ををしと…」という少し長い万13の歌に添えられている歌)。

「鴬の待ちかてにせし(勢斯)梅が花散らずありこそ思ふ子がため」(万845)。

 

※ つまり、重要なことは、この助動詞は、未然形-(せ)、連用形-「〇」、終止形-「き」、連体形-「し」、已然形-「しか」、命令形-「〇」が言われ、文法書の活用表にそう書かれるわけですが、それらはある語が活用しているわけではなく、すべて別語だということです。