◎「さらけだし」(動詞)

「さらあけだし(新空け出し)」。「さら(新)」は疑惑・疑問のないことであることを表現し、これが夾雑物、不純物のないそれ自体であることも表現する→「さら(新)」の項(8月8日)。「あけ(空け)」はなにもない空虚な状態にすること。つまり、「さらあけだし(新空け出し)→さらけだし」は、なにかを、疑問・疑惑なく空虚にし、出す。つまり、まだなにか有るのではないかという疑惑など無くなる状態ですべて出し、それを公知の状態にする。他に、「さらけ」により何かに関し完全・全的になにごとかをすることを表現しつつ「さらけやめ」は、跡が空虚になるくらいすっかりやめる。「さらけあげ」は、全的にすっかりあげる(全的にある状態にする)。「さらけこみ」といった表現もある→「サァサァこの元気で佛(ほとけ:遺体)を桶(をけ:棺桶)へさらけ込んでしまはう」(『東海道中膝栗毛』:跡形もなく、何の痕跡も残らないような状態で、入れてしまおう、ということ)。

「SARAKEDASHI, ―su,―ta, サラケダシ, t.v.  To haul out confusedly and carelessly(混乱した状態で配慮なく引きずり出す).  Kodomo ga tansu no kimono wo(コドモ ガ タンス ノ キモノ ヲ) ――, the child has pulled the clothes out of the bureau(子供が箪笥(たんす)から衣類を引き出す)」(『和英語林集成』:この英訳は、「haul(引く)」や「pull(引く)」よりも「expose(さらす)」の方が正確でしょう)。

「貴郎(あなた)の愛想(あいそ)の盡(つ)きるやうに、妾(わた)くしの楽屋(がくや)を悉皆(すっかり)暴露(さら)けて御覧(ごらん)に入(い)れます」(『社会百面相』(明治35(1902)年):これは単に「さらけ」が動詞になっている)。

 

◎「さらさら」

「さら(更)」が二度重なった表現ですが、それに「に」がつき「さらに」が強調される(→「さらさらに我が名は立てじ万代(よろづよ)までに(永遠に)」(『古今集』:ないのに。→けしてない:「さら(更)」の項))、また、「さらさら」により「さら」が二度重なり強調される表現がなされることもある。「神びゐて(年老いて)我やさらさら(更更)恋に逢ひにける」(万1927:あるのに。累加的に、またもや何度も。この歌、下記に再記)。「さら(更)」一般に関してはその項(8月9日)。

「多摩川にさらす手作りさらさら(佐良佐良)になにぞこの子のここだ愛(かな)しき」(万3373:ないのに。そんなはずないのに。私がこんなふうになるなんてありえないのに)。

「石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)神(かむ)びゐて我れやさらさら恋にあひにける」(万1927:三句は一般に西本願寺本の「神備而」を「神備西」に書き変え「かむびにし」と読まれている。西本願寺本の表記は「ゐ」の音が「び」の母音に吸収されるようになくなくっているのでしょう。意味は上記)。

「そういうつもりはさらさらない」などと言う場合の「さらさら」の「さら」は「さら(新)」(その項)。「さ」が擦過を表現するところの「春の小川はさらさらいくよ」といった表現もある。