「さもりはひ(さ守り這ひ)」。「さ」は情況的動感を表現する。動詞「もり(守り)」の原意は見ていることですがその項参照。「はひ(這ひ)」何らかの動態情況になること。つまり、「さもりはひ(さ守り這ひ)→さもらひ」は、常に何かを見ている情況動態になること。この表現が、見ているそのなにかを、それに及ぼうとする外的悪影響、それを損(そこ)なおうとする何か、からそれを遮断したり、その影響を排除したり、影響を及ぼそうとするそれを消滅させたりする努力を総的に表現する。つまり、見ている何かを維持しようとする。見ている何かに悪影響が及ばないようにし、見ているなにかが損(そこ)なわれないよう努力する。そのため、常にそれを見ている。目の、視覚的動態ではなかったとしても、思いにおける意思動態によってであったとしても、常にそれを見ている。それが「さもりはひ(さ守り這ひ)→さもらひ」。この語は「さむらひ(侍)」になりますが、「さむらひ(侍)」とは常に見ている人、自分が守るべきなにか、それが意味や価値であったとしても、自分が守るべきなにかがあり、それを守るために戦いをためらわない人をいう。

「朝なぎに舳(へ)向け漕がむとさもらふと(佐毛良布等)わがをる時に…」(万4398:これは風の様子を見ている)。

「東(ひむがし)のたぎの御門(みかど)にさもらへど昨日も今日も召すこともなし」(万184)。御門(みかど)を見ていることは「さもらひ」になり、これに従事することは警護にもなり、さまざまなことを命ぜられおこなう従者にもなる。この、警護は、それを専務とする者たちが現れ、その者たちは武具を持ち、やがて「武家」が育ち(武の道を専務とする者が何世代かつづけば、そこに「武家」が生まれる)、「さもらひ(侍ひ)」は動詞「さぶらひ(候ひ)」(その項)の影響を受けつつ「さぶらひ(侍ひ)」「さむらひ(侍ひ)」になり、武士たる「さむらひ(侍)」という語が生まれていく。また、別語「さぶらひ(候ひ)」も音(オン)は「さむらひ(候ひ)」にもなり、混乱する。

「若(も)し狂生(くるへるひと)有(あ)りて墻閤(みかき)の隙(ひま)を伺(うかが)はむか。故(かれ)、門下(みかきのもと)に侍(さぶらひ)て非常(おもひのほか)に備(そな)ふ」(『日本書紀』景行天皇五十一年正月:これは「さぶらひ(候ひ)」なのではあろうけれど、おこなっていることは「さもらひ(侍ひ):警護」です(つまり、「さぶらひ(候ひ)」は、仕(つか)える、のような意味なわけですが、「さもらひ」も、人にさもらへば、それはその人に仕えている状態になるわけです)。つまり、実態たる「さもらひ(侍ひ)」が「さぶらひ(候ひ)」と表現され「さぶらひ(侍ひ)」になり武士たる「さぶらひ(侍)」→「さむらひ(侍)」が生まれていく)。

「いくらもなみゐたりける平家のさぶらい共、『あつぱれかう(剛)の者や』………と口々に申しければ…」(『平家物語』:これは後の「さむらひ(侍)」とほとんど変わらない)。

 

つまり、動詞「さもらひ(侍ひ)」は「さむらひ(侍)」になる語であり、動詞「さぶらひ(候ひ)」は「さうらふ(そうろう:候)」になる語なのですが、歴史的に両語に混乱があるということです。「さぶらひ(候ひ)」(7月26日)も参照。