◎「さめ(冷め・褪め)」(動詞)

「さはみえ(爽身得)」。「さは(爽)」はその項参照(7月16日)。「さはみ(爽身)」とは、情況全的に(エネルギーのような)何かが抜け、なくなった身。「さはみえ(爽身得)」はそんな身の状態になること。抜けるのは熱エネルギー(温度)、色、(人の)関心や思い、がほとんどです。「気持ちがさめ」(心情の活性力)、「湯がさめ」(温度)、「色がさめ」(光の波長濃度)、さまざまな、力のようなものが、抜け、なくなっていきます。

「うちはへぬるみなどし給ひつることは、さめたまひて、爽(さは)やかに見え給へば…」(『源氏物語』:「うちはへ」は続くこと。「ぬるみ」は、生暖かくなることですが、ここでは発熱すること。つまり、熱がひいた)。

 

◎「さめ(醒め・覚め)」(動詞)

「さはみえ(爽見え)」。「みえ(見え)」は「み(見)」の自発的自動表現。「さは(爽)」はその項参照(上に同じ)。この「さは(爽)」は情況の一変感を表現する。全的な喪失感がありつつ見える。睡眠から覚醒へ、や意識不明の状態から意識回復の状態への移行が、とりわけ視覚的な、環境の一変感として表現されている。

「目がさめ」。

「法を聞かぬ先は酔へるが如し。法を聞きつる後はさめたるが如し」(『東大寺諷誦文稿』)。

 

◎「さめざめ」

「さみへさみへ(狭身へ狭身へ)」。「さ」はその障害感(「さへ(障へ・触へ)」)により狭さを表現することがありますが(「さし(狭し)」などのそれ)、この場合はその「さ」です。「へ」は助詞。「さみへさみへ(狭身へ狭身へ)→さめざめ」は、身が狭くなっていく、意思感がやせ細っていく、やりきれない思いになっている、印象であることを表現する。「さめざめと泣く」という言い方が最も一般的ですが、「さめざめとのたまふ」、「さめざめとおほせられ」などの場合、自分の身も細るような思いで切々(セツセツ)となにごとかを言っている。

「『今生でこそあらめ後生でだに悪道(あくだう)へ赴(おもむ)かんずる事のかなしさよ』とさめざめとかきくどきければ…」(『平家物語』:これは、老いた母が、自殺を思いとどまらせようと祇王を説得している)。

 

◎「さもし」(形シク)

「さみををし(狭身雄雄し)」。「さ(狭)」はその障害感により狭さを表現する。この場合は人間性の狭さ、心の狭さ。人間性が狭く、心が狭く(つまり、広々と豊かではなく)雄々しい(男らしい力強さが感じられる)ことが「さみををし(狭身雄雄し)→さもし」。みすぼらしさと厚かましさ、人間性の狭さ・貧しさと猛々しさ、双方が感じられる状態であること。

「陋 狭 隘 サモシ イヤシ」(『雑字類書』(室町中期))。

「さまざまの中に、銀(かね)拾ふ夢はさもしき所あり」(『世間胸算用』)。