◎「さとし(諭し)」(動詞)
「さたおほし(沙汰生ほし)」。「さた(沙汰)」はその項参照(7月4日)。「おほし(生ほし)」は「おひ(生ひ)」の他動表現。「さたおほし(沙汰生ほし)→さとし」は、公正な判断を生ひ育てる努力をすること。警告する、という意味にもなる。多くは言語努力として現れますが、それだけが「さとし(諭し)」ではありません。天変地異も「さとし(諭し)」になる。
「『愛(うつく)しき叔父(をぢのおきなども)労(いたは)しく思(おも)ひて一介之使(ひとつつかいのきみ:一度の使者)のみにあらず、重臣等(かしこきまへつきみたち)を遣(つかは)して教(をし)へ覚(さと)す。……然(しか)るに……』」(『日本書紀』:これは、推古天皇崩御後、次の天皇は山背大兄王(聖徳太子の子)か蘇我氏が推す田村皇子かという情況での山背大兄王の言葉)。
「天変しきりにさとし世の静かならぬはこのけなり」(『源氏物語』:「このけ」は「この気(これによる気)」か。帝が出生の秘密を知らず自然の礼も尽くしていないので天がそれに反省を促そうとしている、というような意味)。
◎「さとし(聡し)」(形ク)
「さつよし(さつ良し)」。「さつ」は「しあてい(為当て射)」。命中させること→「さち(幸)」の項参照(7月7日)。「さつよし(さつ良し)」は良く命中させること。これは判断力に関して言われ、判断が、すなわち頭の能力が、適確であること。直観力がすぐれている、明敏、そうした意味で頭脳明晰、といった意味になる。称賛(ほ)めて言われはしますが、「利にさとい」などはあまりほめていない。
「七つになり給へば文はじめなどせさせ給ひて、世にしらずさとうかしこくおはすれば」(『源氏物語』)。
「大夫(ますらを)のさとき心も今はなし恋の奴(やつこ)に吾は死ぬべし」(万2907)。
「是(ここ)に、天皇(すめらみこと)の姑(みをば)倭迹々日百襲姬命(やまとととびももそひめのみこと)、聰明(さと)く叡智(さか)しくして、能(よ)く未然(ゆくさきのこと)を識(し)りたまへり」(『日本書紀』:「倭迹々日百襲姬命(やまとととびももそひめのみこと)」は、大和(やまと)、遠遠日(とほとほび)、千姫(ももそひめ)、ということか。「ももそ」は、百(もも)が十(そ)、ということでしょう。「能(よ)く未然(ゆくさきのこと)を識(し)り」とは、予言能力があったということでしょう。『日本書紀』・孝霊天皇の部に「倭迹迹日百襲姫命(やまと ととび ももそ ひめのみこと)」、孝元天皇の部に「倭迹迹姫命(やまと とと ひめのみこと)」、があり、『古事記』・孝霊天皇の部に「夜麻登登母母曾毘賣命(やまと とももそ びめのみこと)」があり、みな名が似ている。『古事記』の「登母母曾(とももそ)」は、遠(とほ)百(もも)十(そ)代(よ)、か。百(もも)十(そ)代(よ)、は、千代)。