◎「さづけ(授け)」(動詞)
「さちつけ(幸付け)」。「さち(幸)」(7月7日)、「つき(付き・着き・点き)」「つけ(付け・着け・点け)」はその項。「さちつけ(幸付け)→さづけ」は、「さち(幸)」となる何かを取得させること(さらに厳密に言えば、「AをBにさづけ」は、AをBに幸(さち)として思念的に活性化させる、生きたものとする、こと)。それにより授(さづ)けられた者には権威や名誉や価値などが生じる。
「位をさづけ」。「(宗教者が)道をさづけ」。
「…あかき(安加吉)心(こころ)を 天皇辺(すめらへ)に 極め尽して 仕へくる 祖(おや)の職(つかさ)と 言立てて 授けたまへる(佐豆氣多麻敝流) 子孫(うみのこ)の いやつぎつぎに 見る人の 語りつぎてて 聞く人の 鑑(かがみ)にせむを 惜(あたら)しき(もったいない、おしむべき) 清きその名ぞ…」(万4465:わかりにくいですが、授けたまへる(佐豆氣多麻敝流)→惜(あたら)しき 清きその名ぞ、と続く。「あかき(安加吉)」は、赤き、か、明き、か説が分かれますが、これは大伴家持の歌であり、中国語の「丹心」「赤心」の影響を受けた、赤き心、でしょう)。
◎「さづかり(授かり)」(動詞)
「さづけ(授け)」の自動表現。授けられた情況になること。「漬(つ)け→漬(つ)かり」、「掛(か)け→掛(かか)り」その他のような変化。
「弟『此科(このとが)の御赦(おんゆる)しを蒙(かうむ)る道はいかん』 師『何たるさからめんとなりとも授(さづ)かり、みいさを拝(をが)み…』」(『どちりいな-きりしたん』:「どちりいな-きりしたん(Doctrina Christjão):キリスト教の教義(ポルトガル語)」。「さからめんと(Sacramento):秘跡」。「みいさ(Missa):聖祭」)。
「さづかりもの」(神仏や天からうけたもの、という意味で言われますが、特に子供を言う)。
◎「さっぱり」
「さきはらり(さき(前・先)はらり)」。 「き」の促音化は、かきはらひ→かっぱらひ、のようなもの。「さき」という言葉は過去も未来も表現する。たとえば「それよりもさきにあったこと」はそれよりも過去。「これからさきあること」は未来。「はらり」は全的になにかが落ちてなくなること→「はらり」の項。「さきはらり(さき(前・先)はらり)→さっぱり」の「さき」が過去である場合、それは「さきにあったこと」は全的に落ちてなくなる。それが未来である場合、それは「これからさきあること」は全的に落ちてなくなる。
情況進行を表現する「り」がはぶかれ「さっぱ」とも表現される→「詩人の心はさつはと別ならうぞ」(『史記抄』)。
「『(出家して頭を剃られ)私もさつぱりと致(いた)いて能(よい)気味で御座る』」(「狂言」『呂運』:障(さは)りになっていたことがすべてなくなった)。
「何(なん)だかさッぱりわからなひ」(「人情本」『春色英対暖語』)。
「ア眞(ほん)に然(さ)うでしたッけ薩張(さつぱり)忘却(わすれ)てゐました…」(『浮雲』二葉亭四迷)。
「暑さにでも障りはしませぬか、さうでなければ一杯あびて、さつぱりに成つて御膳あがれ」(『にごりえ』樋口一葉:これは行水する)。
「さっぱりとした性格の人」(気に障るなにかを感じさせない人)。