◎「さだめ(定め)」(動詞)
「さたとうやめ(沙汰と敬め)」。「さた(沙汰)」はその項参照(7月4日)。「と」は思念的になにかが確認される。「うやめ(敬め)」は「うやまひ(敬ひ)」という動詞の基本になっていると思われる動詞(※下記)。「さたとうやめ(沙汰と敬め)→さだめ」は、公的裁定として「うや(敬・礼)」を(それに対する従順さを)生じさせること。
意味としては、
・公的権威をもって確定的に決定する、
・そのための努力(審議や主張)をする(古くは「辨(ベン:論争するという意味もある)」や「勘(カン:考える、や、しらべる)」なども「さだめ」と読んだ)、
・その公的権威を実効させる(統治する)、
・私的に公的権威をもって決定する(認定する→「見定める」)、
といった意味になる。それらすべてが、「さた(沙汰)」として敬(うやま)ひを生じさせる努力。
「八百万(やほよろづ)千年(ちとせ)をかねて定めけむ平城(なら)の京は…」(万1047)。
「(史が)『ただ御覧ぜよ』とて、座につきて(藤原時平に)こときびしくさだめののしり給に…」(『大鏡』:これは「史(シ、和語で言えば、ふみひと):朝廷で記録や文書を担当し扱う人」が時の左大臣・藤原時平にその非道を大声で訴えている)。
「行宮(かりみや)に天降(あも)りいまして 天(あめ)の下治めたまひ 食国(をすくに)を定(さだ)めたまふと…」(万199:これは治め統治する)。
「都の空よりは雲の往来も遠き心地して、月の晴れ曇る事さだめがたし」(『徒然草』:これは気象事象の成り行きの安定的決定)。
※ 語源的には「うやめ(敬め)」は「ゐゆよわめ(居ゆ弱め)」ということ(→「うや(敬・礼)」「うやまひ(敬ひ)」の項)。この「よわめ(弱め)」は、「うやまひ(敬ひ)」の場合、自己を弱め、「Aをうやまひ」は、Aを(「を」は状態を表現する)居、ゆ、よわめ(弱め)、はひ(這ひ)、という表現になる。「さだめ(定め)」の場合他者を弱め、「Aをさだめ」は、Aを沙汰と、居ゆよわめ)。ただし、「うやうやし(恭し)」などの「うや(敬・礼)」を語幹とする「うやみ(敬み)」「うやめ(敬め)」という動詞は独立して資料に現れてはいない。上二段活用動詞「うやび(恭拝び)」はある。
◎「さだまり(定まり)」(動詞)
「さだめ(定め)」の自動表現。「決(き)め→決まり」、「止(と)め→止まり」のような変化。定めた情況が進行すること。
「天(あめ)先(まづ)成(な)りて地(つち)後(のち)に定(さだ)まる」(『日本書紀』:この一文、『古事記』にはない)。
「やむごとなき僧どもさぶらはせたまひて、さだまりたる念仏をばさるものにて(さだまった念仏などを、当然そうあって、そのほかに)、 法華経など誦ぜさせたまふ」(『源氏物語』)。
◎「さださだ」
「さだ」は「さたあだ(沙汰徒)」。それが二度繰り返されることはそれが一般的であることを表現する。「さたあだ(沙汰徒)」は、沙汰(さた:その項(7月4日))は徒(あだ:その項)ということですが、何ごとかを問題とし議論することは、それにより有効な結論が得られることの期待はむなしく、それは何の意味もなく無効、ということであり、「さださだ」は、問題なく、明らかに、確かに、といった意味になる。
「何に(どうして)さることを(生霊を)さださだとけざやかに見聞きけむ、と…」(『源氏物語』)。
「糺(ただす)の神も引きかけて、さださだとあきらめさせ給ふべきならねば…」(『狭衣物語』:「引きかけ」は、かかわらせ、のような意。「糺(ただす)の神」は偽(いつは)りをただすと言われる神)。