◎「さだ」

「さちとは(幸と葉)」。この場合「さち(幸)」は収穫物・産物を意味する→「さち(幸)」の項。「は(葉)」は時間を意味しますが(→「はは(母)」の項)、これは季節の移り変わりにより生まれている語であり、ここで言う「時間」とは、季節・時期です。助詞「と」は思念的に何かを確認する→「おとな(大人)」や「おと(音)」の項。すなわち、「さちとは(幸と葉)→さだ」とは、幸(さち)たる季節・時期、ということであり、これが人生に関して言われれば、(人生の)実りの季節(時期)、のような意味になる。人の一生における(さまざまな意味での)盛りの時期です。それは活力にあふれた時期であったり、見た目にも美しい時期であったりする。事象に関して言えば、何ごとかに合った(適した)機会、のような意味になる。この語は「さだ過ぎ」という言い方がなされることが多い。

「さだすぎたりとつきしろふもしらず、扇をとり、たはぶれごとのはしたなきも多かり」(『紫式部日記』:(宴席での右大臣の様子が)「もういい齢なのに…」とヒソヒソ話をするように人々に言われている状態なのです。「つきしろふ」はお互いになにごとかを言い合うことですが、相互に反論し議論するわけではなく、お互い、相手の気持ちをわかりつつ言い合う(たとえば誰かの噂話をする))。

「このさだ(佐太)過ぎて後(のち)恋ひむかも」(万3160:これは、人生の盛り、のような意味ではなく、時の盛り、何かをなす絶好の機会、という意味でしょう)。

「人間(ひとま)守(も)り(人の居ないときに)葦垣(あしがき)越しに吾妹子を相見しからに言(こと)ぞさだ(左太)多き(噂が激しい)」(万2576:これは言(こと:噂)が多い、ではなく、(言(こと)において)「さだ」が多い、ということでしょう。言(こと)が「さちとは(幸と葉)」を受け、言(こと)にそれが盛りとなる機会が多いのです。つまり、あらゆる場面でそれが噂される)。

 

◎「さだか(定か)」

「さたとあか(沙汰と明か)」。「あか(明か)」は「あけ(明け)」の語尾A音化、情況化であり、明けた情況にあるもの・ことを意味する。「さた(沙汰)」はその項参照(7月4日)。公的に確認・確定された状態で明らか、の意。

「後遂には我が子にさだかにむくさかに(めざましい成果として、のような意)過つ事なく授け賜へと…」(『続日本紀』宣命:確かな安定性をもって)。

「さだかに作らせたる物と聞きつれば返さむこといとやすし」(『竹取物語』:確かに、明らかに、本物ではなく、作り物だということを聞けば…)。

「『行成ならば裏書あるべし。佐理ならばうらがきあるべからず』と言ひたりしに、裏は塵つもり、虫の巣にていぶせげなるを、よくはきのごひて、各(おのおの)見侍りしに、行成位署(ヰショ)、名字、年号、さだかに見え侍りしかば、人皆興に入る」(『徒然草』:「位署(ヰショ)」は官位を書くこと)。