「さかしいみああ(逆為忌み(斎み)ああ)」。「みあ」が「ま」になっている。「さかし(逆為)」は、逆の成果が表れるようなことをする、ということ。「いみああ(忌み(斎み)ああ」は、「ああ」は、悲嘆的な、嘆声であり、その、逆の成果が表れるようなこと、が忌むべきことであり嘆きの嘆声が出るようなものだということ。「逆の成果が表れるようなこと」とは、世の中や人のあり方に逆行しそのあり方を台無しにすること、ということです。つまり、「さかしいみああ(逆為忌み(斎み)ああ)→さかしま」は、世の中や人としてあるべきありかたではない忌むべきこと、ということ。
この語は一般に「さかさま(逆様)」と同意とされますが、「さかさま(逆様)」は単に逆の状態・様子という客観的な表現であるのに対し、「さかしま」は、単に客観的に逆なのではなく、忌み(斎み)をふみにじること、という、そこに価値否定・意味否定の要素があり、それへの衝撃性や反発・嫌悪は「さかさま(逆様)」よりもはるかに強い。ただ、音(オン)が似ているということもあり、同じような意味で用いられもする。
「是(こ)の時(とき)に太子(ひつぎのみこ)暴虐(あらくさかしまなるわざ)行(し)て婦女(をみな)に淫(たは)けたまふ」(『日本書紀』)。
「今、星川王(ほしかはのみこ)心(こころ)に悖悪(さかしまにあしきこと)を懐(いだ)きて…」(『日本書紀』)。
「倒 ……サカシサ(シ)マ」(『類聚名義抄』:「サ」の横に「シ」とも書かれる)。「逆 サカサマ」「逆 サカシマナリ」(『伊呂波字類抄(色葉字類抄)』:どちらもある:この書はその書内で題名が『伊呂波字類抄』とも『色葉字類抄』とも書かれる)。
「正八も彼(か)の三味線を取って、逆(サカ)しまに斜(しゃ)に構へ」(「人情本」:これは単純に、さかさま)。
「初(はじ)めて、天皇(すめらみこと)、天基(あまつひつぎ)を草創(はじ)めたまふ日(ひ)、……らを帥(ひき)いて、密(しのび)の策(みこと)を奉承(う)けて、能(よ)く諷歌(そへうた)倒語(さかしまごと)を以(も)て、妖氣(わざはひ)を掃(はら)ひ蕩(とらか)せり。倒語(さかしまごと)の用(もち)ゐらるるは始(はじ)めて茲(ここ)に起(おこ)れり」(『日本書紀』:「諷歌(そへうた)」の「そへ」は、「そひ(添ひ)」ではなく、「そひ(沿ひ)」の他動表現でしょう。「とらけ(蕩け)」は崩壊し溶解し原形・原性がなくなることですが、「諷歌(そへうた)倒語(さかしまごと)」が「妖氣(わざはひ)」を崩壊・溶解させ原形・原性をなくす、とはどういうことかというと、「妖氣(わざはひ)」は現実の現れが空虚な、不安を生むこと・ものであり、人がそうありたくはない現実であり、これを不自然とし、不自然を、これに人々を逆意へ向かわせる忌むべきこと(「倒語(さかしまごと)」)たる歌を沿わせ自然へ返し、自然を回復させる。それにより「妖氣(わざはひ)」たる空虚な、不安を生む現実は崩壊・溶解し原形・原性は失せ自然たる幸福が帰る、そういう力が生まれた、ということです。この一文は『日本書紀』の神武天皇元年春正月(はるむつき)にあるもの、すなわち「神武肇国(テウコク)」の始めにあるもの、であり、それなりに人々の関心を向かわせもしたのですが、江戸時代の国学者・伴信友はその著『方術原論』で「かくて其諷歌倒語といへるは、いかなる事にか聞えがたきを」と言い、意味がよくわからなかったらしいのですが彼なりに解釈を試み、彼が出した結論は「倒語は タフシゴト と読むべし」というもの。古訓は間違いだということか)。