◎「さがし(涼し・探し)」(動詞)

「さあけかはし(さ開け交はし)」。語頭の「さ」は情況的動感を表現する。「あけ(開け)」は他動表現。開放感を生じさせること。「かはし(交はし)」は交感・交流感を生じさせること。これが対象(たとえば米、あるいは書物)を「開(あ)けた」(開放した)場合、その対象はたとえば日(太陽)との交流にさらされた状態になり、何かを、いわゆる曝涼、する状態になる。日や風などに、あるいは世の中一般に、何かをさらす(「さがし(涼し)」)。

「曅〓 サガス」(『類聚名義抄』:「〓」は「冫」(ニスイ)に「亰」)。

「をこをさがして人に笑はるる」(『今昔物語』:馬鹿をさらして人に笑われる)。

「涼 サガス 曝涼米也」(『色葉字類抄』(尊経閣叢刊):厳密に言うと、原文の「涼」は「冫」(ニスイ)に「亰」)。

これが、主体が、開けた何かとの交流を続けている場合、その人はその中での何かの発見に務めている(「さがし(探し)」)。この場合の「さがし(探し)」の開放、開ける何か、は知的なそれ・情報であることもある。たとえば街を見回し視野を開き蕎麦屋の発見に努めることも「さがし(探し)」。

「文などやあると、近き御厨子(みヅシ)小唐匱などやうの物をも、さりげなくてさがし給へど、さる物もなし」(『源氏物語』:これは「さがし(涼し)」そして「さがし(探し)」ている)。

「殿(藤原道長)の、夜中にも暁にも参りたまひつつ、御乳母の懐をひき(孫を)さがさせたまふに、うちとけて寝たるときなどは、何心もなくおぼほれておどろくも、いといとほしく見ゆ」(『紫式部日記』:これは、探す、ではなく、公開する・一般の目に触れる状態にする、ということでしょう。つまり上記の「さがし(探し)」ではなく「さがし(涼し)」)。

 

◎「さがし(険し)」(形シク)

「さかけはし(坂険し)」。坂の状態で険しい印象の表明。斜面であり、険悪であること。主に山に関し言われた。意味発展的に、危険で困難であることも言う。

「梯立(はしだて)の倉梯山(くらはしやま)はさがしけど妹(いも)と登ればさがしくもあらず」(『古事記』歌謡71)。

「橋よりも落ちぬべければ、いで、この葛城(かづらき)の神こそさかしう(さがしく)し置きたれとむつかりて」(『源氏物語』:この「いで」は起こっている事態への嘆きを表現するそれ(→「いで」の項・2020年1月21日)。後世的に言えば、どうなってるのよ、これ、のようなものであろうか)。