◎「さかし(賢し)」(形シク)
「そわきくはし(背分き麗し・詳し)」。「そ(背)」は逆向きであることを表現する→「そ(背)」の項。「わき(分き)」は部分に隔絶させることで全体が完成することを表現する→「わき(分き)」の項。「くはし(麗し・詳し)」は自分には把握できない精妙さが感じられること→「くはし(麗し・詳し)」の項(2021年11月5日)。「そわきくはし(背分き麗し・詳し)→さかし」、すなわち、逆向きの「わき(分き)」が、逆向きの、部分に隔絶させることで全体が完成することが、精妙である、とはどういうことかと言うと、たとえば自分の考えや意思があったとする。それとは逆向きの、それに否定的な、それを否定する、それを部分に隔絶させることで全体が完成する(それを分析的し総合化する)ことに感嘆する精妙さがある、ということです。これは自己反省とそれによるより高度な知的発展へむかっているということであり、それが「さかし(賢し)」です。これは、意味が俗に退行化し、人としての正常な理性的状態、という意味でも言われる。しかし、それが他者とは逆向きの、部分に隔絶させることで全体が完成することが精妙であることとして現れたとき、否定されたその他者としてはつねにその精妙さに感服するとはかぎらない。つねにその「わき(分き)」がすべての人を十分に納得させるものであるとは限らないのです。ある場合には、あいつは才知はあるが人間味に欠ける、かしこぶっている、生意気だ、さらには、人間が小さく「こざかしい(小賢しい)」といった思いにもなる。
「其(そ)れ賢聖(さかしひとひじり)を得(え)ずは、何(なに)を以(も)てか國(くに)を治(をさ)めむ」(『日本書紀』)。
「いにしへの七(なな)の賢(さか)しき人たちも欲(ほ)りせしものは酒にしあるらし」(万340)。
「愚(オロカナル)モ智(サカシキ)モ四山ノ怖レヲ離レス」(『東大寺諷誦文稿』)。
「賢 …カシコシ サカシ………ヒシリ マサル」「哲 …サトル………サカシ」「聖 …ヒシリ サカシ」(『類聚名義抄』)。
「(電)神の鳴りひらめくさま…落ちかかりぬと覚ゆるに、ある限りさかしき人なし」(『源氏物語』:これは人としての正常な理性的状態という意味)。
「さかしきもの。……………下衆の家の女主。痴れたる者、それしもさかしうて、まことにさかしき人を教へなどすかし」(『枕草子』:「さかしきもの」として「下衆の家の女あるじ」その他をあげこれと「まことにさかしき人」が分けられている。「まことにさかしき人」は良いのだが、「さかしきもの」は我慢がならないらしい)。
◎「さかし(栄し)」(形シク)
「さかはし(栄愛し)」。「さか(栄)」(その項・5月22日)に対する感嘆表明。
「斑鳩(いかるが)のなみきの宮に立てし憲法(のり)今の散加之支(サカシキ)御代にあふかな」(『日本紀竟宴和歌』)。
「繁 ……サカシ」(『類聚名義抄』)。