「サククさけゐゆゆし(作句避け居由由し)」。「サクク」は「サック」のような音となり「けゐ」は「く」になり「ゆゆ」は退行化し「サックさくゆゆし」→「さくさくし」となり「さうざうし」はその音便と連濁。連濁は「さっくさけ(作句避け)」が「さっくざけ(作句避け)」になっているということ。「サクク(作句)」は句(ク)を作(つく)るということですが、この「句(ク)」は歌の句、歌の文句であり、ここで、句を作らない、とは、歌を歌わない、ということ。「サククさけゐゆゆし(作句避け居由由し)→さくさくし」は、歌を歌うことを避け、何も歌わず、孤独に耽(ふけ)るように常にただ沈黙していることが程度を超えて尋常ではない、ということ。それが、孤独な寂寥感があり、物足りなさがあることに深刻さがあることを表現する。
「これかれものいひ、わらひなどするに、廂の柱によりかかりて、物もいはでさぶらへば『など、かく音もせぬ。ものいへ。さうざうしきに』と仰せらるれば…」(『枕草子』)。
「さうざうしくつれづれなる慰めに、いかでをかしからむちごもがなと…」(『源氏物語』)。
「此にふすまの白くてさうざうしきに物かきてえさせよと…」(「俳諧」『鶉衣』)。
「嘍囉 獨坐不楽皃 須加奈志 乎佐奈志 又佐久佐久志」((天治本)『新撰字鏡』:「佐久佐久志(さくさくし)」と言っている。これが「さうざうし」でしょう。「須加奈志(すかなし)」は、気持ちが晴れない、ということ。「獨坐不楽皃」(獨坐楽(たの)しまざる皃(かほ))がなぜ「乎佐奈志(をさなし:幼し)」なのでしょうか。たよりなく不安ということか。「嘍(ル)」は鳥の鳴き声であり、『廣韻』には「連嘍煩皃」とあり、「囉(ラ)」は幼児的な歌を意味するらしい。つまり「嘍囉(ルラ)」は煩(わずら)わしさ、鬱陶しく晴れない思いでいること、とりわけ、静かな世界にいたい思いでいること、を意味している)。
この語の語源説としては、漢語の「索(サク)」や「寂(セキ・ジャク)」が二つ重なって語幹になった形容詞とする説が主ですが、基本的には、よくわかっていないのが現状です。「寂(セキ・ジャク)」は、寂(さび)しい、閑(しづ)か、といった意味ですが、「索(サク)」の意味は、基本的に、縄(なは)。この語が中国の書に「心不安之貌」と書かれたりするような意で用いられたりもするわけですが(「索漠」「索然」)、それは、この語による「索居」が、群(むれ)から離れ、一頭で縄につながれ生活している動物の状態を意味し、そこから孤独→さみしい、といった意味が発展するということでしょうか。
念のために言えば、この語は「そうぞうし(騒騒し)」とは別語です。