S音の動感とA音の全体感・情況感をもって情況的に何かを指し示す「さ」がある。

情況やその言語情況(そこで話されていること)により特定が生じる人・ものやことなどを指し示す。「さが尻をかき出でて恥みせむ」(『竹取物語』:そいつの尻をださせて恥をかかせてやろう)。「誰かさ言ふ」(『源氏物語』:誰がそう言う)。「さて」「さる方」(ある人) 「さりとて」「さほど(さ程)」等の指示の「さ」。「くら人ともわらひてかめをおまへにもていててともかくもいはすなりにけれは、つかひのかへりきてさなむありつるといひけれは、くら人のなかに(以下の歌を)おくりける」(『古今集』歌番874詞書:「さなむ」の「さ」は、そういうこと、のように、起こったことを言っているわけですが、「なむ」、そういうことのようです、のような、伝聞になっているということでしょう)。「などさは臆(オク)せしにか」(『枕草子』:なぜそんなにも臆したのか)。「さかし。さ皆思ひなせど…」(『源氏物語』:たしかにそうだ。そのように皆思ってしまうが…)。

文末で、そこで言語表現されることを指し示し、確認・強調する「さ」。「まづそんな物さ」(「洒落本」)。「待ってりゃそのうち来るさ」。

動態の目的を表現することもある。「東京さ行く」(この表現は関東から東の地域で広く現れている方言と言われますが、「さ」による指示表現です。「東京に行く」に表現が似ている)。

なにかが指示される(指し示される)とは、そこにそのなにかの記憶の再起があるということであり、何かの記憶が再起することによりその何かが、指し示された、と人に判断が起こる。S音にはそうした記憶の再起性がある(過去の助動詞と言われる「し」 (→「ありし日」)もそうしたS音の記憶の再起性によるもの)。この記憶の再起性は情況表現機能もはたす。「花やかさ」「美しさ」等。動態情況表現機能もはたす。「行くさ、来(く)さ」(行く情況(行く際)、来る情況(来る際))。

「さ来年」「さ来月」の「さ」も指し示しの「さ」であり、来る来年のその来年、来る来月のその来月、の意。

「さあ…それは…」と返答に迷っている「さあ」は「さは」。「それは…」と提示するだけで何も言わない。

万葉集』3330の歌に「投(な)ぐるさの遠ざかり居て(投左乃遠離居而)」という表現がありますが、これは、何かを投げるかのように、投げる情況で、遠ざかる。