◎「こゑ(声)」
「けおふひひへ(気生ふひひ経)」。けおふひひへ→こふひゑ→こゑ。「ひひ」は「ひひく(響く)」にあるそれであり、神経伝達を表現するような擬態。「けおふひひへ(気生ふひひ経)→こゑ」は「け(気)」が生(お)ふ響(ひび)きの続行感を表現したもの。つまりそれは単なる音響ではなく、そこには人として普遍的な「け(気)」が感じられる。「おと(音)」(2020年10月17日)は思念が生ふ(刺激される)。「こゑ(声)」は「け(気)」が生ふ。では、「こと(言)」(2022年3月18日)と「こゑ(声)」はどう違うかと言えば、「こと(言)」は客観的な、一般的な、存在感が作用する音(おと)、「こゑ(声)」は客観的な、一般的な、存在感が作用する音響経過、響きの経過だということ。つまり、沸いた思念が客観的・一般的に存在化する(「こと(言)」)か、物理的な響きの経過(「こゑ(声)」)かの違いということになる。
「月(つく)よみの光を清(きよ)み夕なぎに水手(かこ)の声(こゑ)呼び浦廻(うらみ)こぐかも」(万3622)。
「廿九年春二月(はるきさらぎ)…半夜(よなか)に、厩戸豐聰耳皇子命(うまやとのとよとみみの みこのみこと:聖徳太子)斑鳩宮(いかるがのみや)に薨(かむさ)りましぬ。是(こ)の時(とき)に……………少幼(わかき)は、慈(うつくしび)の父母(かぞいろは)を亡(うしな)へるが如(ごと)くして、哭(な)き泣(いさ)つる聲(こゑ)行路(みち)に滿(み)てり」(『日本書紀』)。
「頓(やが)てしぬけしきも見(み)えず蝉(せみ)の聲(こゑ)」(「俳句」『卯辰集』:この俳句は「けしきは~」「けしきに~」というものもあるのですが、「は」や「に」でなにごとかを提示した場合、「けしき」以外は見えるのか?「けしき」以外には見えるのか?という状態になる)。
◎「こんでい(健児)」
「コンニテイ(健児丁)」。すべて字音。「コン(健)」「ニ(児)」呉音。「てい(丁)」漢音(※下記)。「健」―すこやか、身体壮健。「児」―子供。「丁」―壮年男子(二十歳くらいの者)。すなわち、「健」であり「児」であり「丁」である者、を言う。十代後半、二十歳少し前くらいの男でしょう。これは奈良時代に設置された諸国の衛士の名です。「健兒所 コンデイドコロ 中間居所」(『伊京集』(室町時代末期筆写):「健」の原字は「牜」(うしへん)になっている)。
※ 「健」の呉音は一般に「ゴン」と言われますが、「コン」で現れても不自然ではないでしょう。また「丁(テイ)」は青年壮年男子を意味する一般用語の状態になっている。