◎「ころひ(嘖ひ)」(動詞)

「こり(呵り)」という動詞があったものと思われます→「こられ(嘖れ)」の項。それによる「こりおひ(呵り覆ひ)」。動態全域が怒りによる怒鳴りで覆われたような状態になること。激怒する状態になること。「こり(呵り)」は怒声に由来すると思われ、語の成り立ちとしては「こらおひ」や「これおひ」も有り得ますが、結果は同じです。

「時(とき)に道臣命(みちのおみのみこと)、審(つまひらか)に賊害之心(そこなはむといふこころ)有(あ)ることを知(し)りて、大(おほ)きに怒(いか)りて誥(たけ)び嘖(ころ)ひて曰(いは)く」(『日本書紀』)。

「等夜(とや)の野(下総の国・印旛郡・鳥矢郷とも言う)に菟(をさぎ)窺(ねら)はりをさをさも寝なへ兒(こ)ゆゑに母(はは)に嘖(ころは)え(許呂波要)」(万3529:「窺(ねら)はり」は「ねらひあり(狙ひあり):狙うという情況にあり」ということでしょう。兎を追っていたのに(何の関係もない)女の子の処へ忍んできたと思われその子の母親に恐ろしい勢いで怒鳴られたわけです)。

 

◎「ころび(転び)」(動詞)

「ころみふみ(ころ身踏み)」。「みふみ」が「び」になっている。「ころ」は客観的対象が回転状態にあることを表現する擬態。「ふみ(踏み)」は実践すること。「ころみふみ(ころ身踏み)→ころび」は、身が回転するような実践状態になること。これは(ほとんどは人ですが、ときには物も)転倒することも意味し、人がだらしない状態、みっともない、無様(ぶざま)な状態状態になることも表現する。たとえば男女の密通も意味し、十七世紀頃はキリシタンが改宗することも「ころび」と表現した。また、事態の成り行きを、まるでそこいらの物が偶然ころがるように、どうでもよいこととして表現する場合もある→「どっちへころんでも(ことの成り行きがどちらになろうと)どうせ同じ」。

「御曹司、城廓(じやうくわく)遙に見渡いておはしけるが、『馬ども落いて見ん』とて、鞍置馬を追落(おと)す。或は足を打折てころんで落つ。或は相違なく落て行もあり…」(『平家物語』)。

「宮、紅の御衣二(ふたつ)斗(ばかり)にをしつつまれて鞠のごとく簾中よりころび出させ給うて和尚の前の簀子(すのこ)になげをき奉る(投げ置かれる状態になった)」(『宇治拾遺物語』:僧の法力のようなものにわしづかみにされて(ころがされるように)放り出されるような状態になった)。

「やしろの南とりゐころびたるよし…」(『御湯殿上日記』:これは物が倒れている)。