◎「こひ(恋ひ)」(動詞)

「きひおひ(来日生ひ)」。「きひお」がH音が退化し「きお」のような音(オン)を経「こ」になっている。「き(来)」は現れること(脳に)。「きひおひ(来日生ひ)→こひ」は、来ている日が、現れた日が、生い育つ。客観的な世界に、ではない。自分の内に。ということは、それがなければ自分は闇という状態になる。そういうことが人には起こる。これは、それ以外の関係においても言いますがとくに、人と人との関係、特に、男女間の関係、でのことを言う。日、すなわち光は生命の起源のような意味があり、「きひおひ(来日生ひ)→こひ」は、日が来、生い育つことは、生命を得たような状態にもなる。古くは、「Aをこひ」ではなく、「Aにこひ」と表現した(「Aを恋ひ」という表現は平安時代からある)。

「いにしへに恋ふる鳥かも………鳴きわたり行く」(万111)。

「わが背子(せこ)にこふれば苦し…」(万964)。

「恋に落ち」という表現がありますが、これは英語の「fall in love」の直訳。「恋が(天から降ってくるように自分の上へ)落ち」という表現はある。

この動詞は上二段活用。否定形は「恋(こ)はず」ではなく、「恋(こ)ひず」。

◎「こほし(恋ほし)」(形シク)

「こひおひほし(恋ひ、追ひ欲し)」。恋ひ、追いゆく状態で欲しい。

「君が目のこほしきからに…」(『日本書紀』歌謡123)。

 

◎「こひ(祈ひ)」(動詞)

「くをおひ(来を追ひ)」。「くる(来る)」という情況を追ふのではありません。「く(来)」という動態で追ふ(「を」は、目的をではなく、動態の状態を表現する(→「を(助)」の項))。何かが「来る」という動態状態で追う。「く(来)」という動態で追い求める状態にある。何かの到来を希求している。

「緑児の乳(ち)こふがごとく」(万4122)。

「天地(あめつち)の神を祈(こ)ひ(許比)つつ吾(あれ)待たむ早来ませ君待たば苦しも」(万3682)。

「〓 …誓祈也 壽百霊也 祈也 知加不 又己不 又伊乃留」(『新撰字鏡(享和本)』:〓は天治本では「祈」の向かって右上に「日」が書かれている字)。

現代ではこの動詞は一般に漢字では「乞ふ」と書かれますが、この字には「ものもらひ」や「乞食(コツジキ)」の印象が強く、この言葉の原意を正確に反映しない。ここでは「祈ひ」と書きましたが、この表記に慣用的一般性はありません。

この動詞は四段活用。否定形は「祈(こ)はず」。

また、上代特殊仮名遣いという点で言えば、上記「恋(こ)ひ」の「こ」は甲類表記、「祈(こ)ひ」のそれは乙類表記。「恋(こ)ひ」の「ひ」は乙類表記、「祈(こ)ひ」のそれは甲類表記。「あやにな恋(こ)ひ(古斐)きこし 八千矛(やちほこ)の神の命(みこと)」(『古事記』歌謡4)。