◎「ごね」(動詞)

「ゴにね(期に寝)」の動詞化。は時間の経過その経過点を意味しますが、その呉音「ゴ(期)」は死期も意味する。この「ご」は「マツゴ(末期)」「サイゴ(最期)」といった表現の影響だろう。「昨日よりも心地も弱り身も苦(くるし)みて。今は期(ご)を待つばかりなり」(「謡曲」『土蜘蛛』)。「ゴにね(期に寝)」、死期(シキ)に寝、とは、死ぬこと。それを表現する俗語。

「こいつごねたか。しやちばりかへつて木(き)ほせ(小枝の切れ端)の様な小倅と…」(「浄瑠璃」『ひらかな盛衰記』:「しゃちばりかへり」は、シャチホコばり返り、シャチホコのようにふんぞり返り(偉そうに)、ということ。「ほせ」は、ほそえ(細枝)、でしょう。「柴の折れを京には木(き)ほせといふ」(『男重宝記』))。

 

◎「ごね」(動詞)

「ゴフにいえ(業に癒え)」。「フ」は退化し「にいえ」が「ね」になっている。「ゴフ」は「業」の呉音ですが、「業(ゴフ)」はここでは仏教的な意味であり、意思による活動を意味しますが、とくに、因果にとらわれたそれを意味し、人の、煩悩から解放されていない心身の活動、という印象が強い。その「業(ゴフ)」に癒える→ごね、とは、人が、人の、煩悩から解放されていない心身の活動に充足しそれに安堵を得る状態になることです。

「いまな、ゴネてる最中なんや。あんたのお母(か)はんちうたら、どだいもう無茶ばっかし云ははるんで」(『祇王村』田口竹男)。