◎「こたへ(答へ・応へ)」(動詞)

「ことあへ(言・事合へ)」。自己に向けられた「こと(言・事)」に対し自らの「こと(言・事)」で「こと」としての全的完成感が生じる努力をすること。つまり、「こと(言・事)」を完成させる。全的完成感に関しては「あへ(合へ・和へ)」「あひ(合ひ・会ひ)」の項(2019年6月20日)。「問ひにこたへる」。これは「こと(言)」に応じた「こと(言)」でも、「こと(事)」に応じた「こと(事)」でも表現され、影響が及び結果を生じさせるという意味にもなる。

「於是(ここに)、其(そ)の妹(いも)伊邪那美命に問(と)ひたまはく、『汝(な)が身(み)は如何(いか)にか成(な)れる』と問ひたまへば、『吾(あ)が身(み)は、成(な)り成(な)りて成(な)り合(あ)はざる處(ところ)一處(ひとところ)在(あ)り』と答(こた)へたまひき。ここに伊邪那岐命詔(の)りたまはく。『我(わ)が身(み)は、成(な)り成(な)りて成(な)り餘(あま)れる處(ところ)一處(ひとところ)在(あ)り。故(かれ)…』」(『古事記』:一方は不足がひとつあり他方は余りがひとつある。余りひとつで不足ひとつをふさげは双方は完成する…。そして島生みが始まる)。

「天(あめ)応(こた)へてその祥瑞(みつ:みいつ)を示(あらは)す」(『日本書紀』)。

「あかつきの嵐にたぐふ鐘の音を心の底にこたへてぞ聞く」(『千載集』)。

「寒さが身にこたへる」(これは影響が及び結果を生じさせる)。

 

◎「こたへ(堪へ)」(動詞)

「ことあへ(事堪へ)」。「あへ(堪へ)」は、全的完成感を表現する「あ」による動詞であり、他に対し(自己の)全的完成感を働きかけること。すなわち自己を維持し、その全的完成感を失わせようとする力に対しては失うまいと堪(こら)える(→「あへて」「あへなく」)。「ことあへ(事堪へ)→こたへ」は、事に関しその完全さを維持する努力をすること。

「大像之仏をば木像にし膝膠(うるし)にてぬり立候へば、百年はこたへ侍(はべる)由(よし)…」(『太閤記』)。

「もちこたへる」。