原形は「きほひくら(競ひ坐)」。これが「ひ」は無音化し「こくら」。語頭は連濁し「ぎほひくら→ごくら」。二音目が連濁し「こぐら」。上略が起こり単に「くら」(→「おしくらマンヂュウ(押競饅頭)」)。(「こぐら」に)下略が起こり「ごく」。 (「こぐら」に)さらに下略が起こり「っこ」(→「かけっこ(駆けっこ)」)。さらに、「~っこ」が交互になにごとかをする意味となり(「取りかえっこ」「水のかけっこ」)。「ごく」にこの「っこ」がついて「ごっこ」になった。

動詞「きほひ(競ひ)」は自我内部に現れた日を没頭して追うような状態になることであり、「くら(坐)」は全体における自己の位置であり、「きほひくら(競ひ坐)→こくら」すなわち、競(きほ)ふ全体の位置、とは、これが私の位置だ、と自己主張することであり、複数の者がそれを行った場合、全体におけるその位置を競(きそ)い合う状態になる。それが「こくら」の原型です。「ハシリコグラヲスル トビコグラヲスル」(『日葡辞書』(下記))。やがて、「にらみごく(睨みごく)」なども行われ、競争的遊戯運動を表現するこの「こぐら」が遊戯動態を一般的に表現するようになり、人の一般的動態だけではなく、特に考案された動態や社会的に特徴的な作業や動態を遊戯的に行うことも「~ごっこ」といわれるようになる。「鬼ごっこ」。「お医者さんごっこ」。

「Cogura. Particula que juntandose a algunos verbos significa aquello que ellos significan a quien lo ha ze mejor. Vt.Faxiricogurauo suru.Correr,a quien corre mejor.Tobicogurauo suru.Saltar a quien salta mejor ,&c.」(『日葡辞書』(1603-4年):Cogura(コグラ) 語の部分辞であり、ある動詞につき誰が最もうまくそれをするかを意味する。Vt. Faxiricogurauo suru(ハシリコグラヲスル) 誰がうまく走るか走る。Tobicogurauo suru(トビコグラヲスル) 誰がうまく飛ぶか飛ぶ)。

「此(この)大盞(タイサン)でひとつづつ呑(のま)せ極(ごく)せまいかと…」(「浮世草子」『野傾旅葛籠』(1712年))。

「目比 今世京坂ニテハニラミゴク、江戸ニテニラミクラト云也、凡テ竸ヲ京坂ニハゴク、江戸ノ童クラト云也。クラベノ下略ナレハクラ正ト云ベシ」(『守貞謾稿』(起稿1837年)第二十八巻:「~くら」や「~こくら」を、比(くら)べ、とする理解は現代でも普通にある)。

 

(念のため再記)

「きほひ(競ひ)」(動詞)の語源

「きひおひおひ(来日覆ひ追ひ)」。「きほほひ」のような音を経、「きほひ」になった。「きひ(来日)」は突然日が現れたような状態になること。そして全体がそれに覆われたような状態になりそれを追ふ。全員が自我内部に日が現れそれが膨張したような状態になる。それが「きひおひおひ(来日覆ひ追ひ)→きほひ」。「Aにきほひ」はAに刺激されそうなる。後世ではこの「きほひ(競ひ)」と「キ(気)」を「おふ(負ふ)」・「きおひ(気負ひ)」(過剰な「気(キ)」を現し)が混乱しているように思われる。

「…四方の国よりたてまつる貢(みつき)の船は……楫(かぢ)引きのぼり……あぢ群(むら)の騒ききほひて浜に出で海原見れば……」(万4360)。

「竜田山しぐれにきほひ色づきにけり」(万2214)。「きほひ馬」は競馬。

「きほひ(競ひ)」と「キおひ(気負ひ)」に関しては「いきほひ(勢ひ)」の項。