◎「ごぎゃう(御形)」
「ゴギンヤウ(御銀影)」。全体に綿毛を密生し全体が銀色の印象を受けることによる名。「御(ゴ)」は銀の姿に対する尊重感を表現したもの。「ヤウ」は「影」(意味は、姿(すがた))の呉音。「お(御)ぎゃう」とも言う。草性植物の一種の名であり、「ははこぐさ(母子草)」(下記)の別名。春の七草の一。この語は漢籍なども読んでいる人が作った雅語的なものでしょう。
「正月七日ノ七草ノアツモノト云ハ…………或歌ニハ セリナツナ五行タヒラク佛ノ座…」(『壒囊鈔(アイナウセウ)』:「タヒラク」は、タビラコ(田平子)、であり、これは現在、ホトケノザ(仏の座)、の別名になっていますが、ここには「佛ノ座」も書かれており、だとすると、このタヒラクやホトケノザはなんだ、ということになるわけですが、それには諸説ある)。
◎「ははこぐさ(母子草)」
「はふはけおひぐさ(葉ふは毛生ひ草)」。「ひ」は退化した。「ふは」は、内部に空間の無数にある、それゆえに膨らんだような、それゆえに軽そうな、それゆえに柔らかそうな、印象を表現する擬態(→「ふ」の項)。葉はおろか、全体が白い密毛に覆われたようなその外観印象による名。「はわこぐさ」という表記もある。別名「ごぎゃう」(上記)。
「馬先蒿 ………和名波波古久佐」(『本草和名』:「蒿(カウ)」の意は、ヨモギ(蓬))。
「馬先草 ハワコグサ」(『雑事類書』(文明本節用集))。
◎「こく」
「カウキウ(効究)」。「効(カウ)」の究(きは)み、ということですが、「効(カウ)」は努力や作用の結果。それが極(きは)まり究極に達しているとは、なにごとかの効きめ、効果がそれが果たし得る究極に達し、深みのある充実感、それによる深い感銘がある、ということ。「カウキウ(効究)」という中国語はない。
「醪 ……モロミ…コク」(『類聚名義抄』:「醪(ラウ:濁酒を意味する)」が、もろみ、とも、こく、とも読まれるということは、発酵が完成的にある段階に達した場合、『こくがある』と表現されたことによるものでしょう。「こく」という言葉は酒造りの現場で生まれたものでしょう)。
「こくのある味」。
◎「ごく」
「ごくにたたず」や「ごくにつかぬ」という言い方をする。「よく(欲):四(よ)く」はあるが「ごく(五く)」に達しない、「やく(役):八(や)く」の半分→まったく役にたたない、の意。
「『これこれお婆、聞いて居ればぐどぐどと、何をごくにもたたぬ事…』」(「浄瑠璃」『鑓の権三重帷子』)。
「『ごくに立たぬがらくた物。直打(ねうち)の有物は一ツもない』」(「浄瑠璃」『源頼家源実朝鎌倉三代記』)。
◎「こくみ(瘜肉)」
「こけゐみ(小異居見)」。身体に出る(現れる)小さな異常なできもの。
「瘜肉 ………和名阿萬之々一云古久美 寄肉也」(『和名類聚鈔』:「あましし(阿萬之々)」は、「あまし(余し)」という語になっている「あみ(余み)」があり(→「あまし(余し)」の項)、それによる「あみいはしし(余み岩肉)」でしょう。発症する、過剰な状態の岩のような印象の肉)。