「ききえれ(効き得れ)」。「えれ(得れ)」は終止形「える(得る)」という動詞の已然形のように現れている。この「~けれ」は室町末期から江戸時代初期頃に、たぶん大阪あたりで、生まれた表現ですが、古くは、連用形「え(得)」の已然形は「うれ(得れ)」です。「~ではあらうけれ」、「ござらふけれ・ござらうけれ」、「器量こそ違(ちが)はうけれ」、「贔屓(ひいき)こそなるまいけれ」といった言い方をする。つまり、動詞に助動詞がつくなどし、その終止形が言われ、そこで言われた文「……」に、「……。ききえれ(効き得れ)→……。けれ(……。それが効果を発生させはするだろうが…)」という表現がなされる。「…ではあらうけれ」は、「…ではあらむ…ききえれ(有らむ…効き得れ)」であり「~であろう効果は得るだろうが…。~であろうことではあろうが。~ではあろうが…」ということであり、「なるまいけれ」は、「なるまじ…ききえれ(なるまじ…効き得れ)→なるまいけれ」であり「なるまいということではあろうが」ということ。
この語の成り立ちに関しては、専門の国語学者の間で、形容詞已然形起源説(白けれ、悲しけれ)、助動詞「~まじ」の已然形起源説(まじけれ)、過去の助動詞「~けり」の已然形説(けれ)などがある。
「おく様もをなご、おれも女子、器量こそちがはうけれ、わしがかみはちぢみがみ、殿達のこのもしがる内証へ取り入っては、奥様にもまけませねど…」(「浄瑠璃」:(器量こそ)違う、ということではあろうが。違はむ…効き得れ)。
「姑御のさがなうて取りにくい御機嫌に辛抱するは何故ぞ。男の顔を楽しみに暮す女房に口出しして贔屓(ひいき)こそなるまいけれ、陰日向になる程の気骨(きぼね)は折ってやられてもさのみ人は叱るまい」(「浄瑠璃」: (贔屓(ひいき)こそ)なるまいということではあろうが)。
この「~けれ」が動詞一般に応用され「言ふけれ」のように表現され、「けれ」に「ど」や「ども」もつき「言ふけれど」「言ふけれども」のようにも表現され、「れ」は消音化し、「そうは言うけど」「そういうことを言うなら言わせてもらうけど」「だけど」のような、ある動態の効果を強く提示し、そういう効果はあるが、と、それに対する疑惑・疑いを表現し、それによる否定の感づかせや誘引を作用させる、という表現を行う。「そうは言うけど」の「そうは言う」、「そういうことを言うなら言わせてもらうけど」の「そういうことを言うなら言わせてもらう」、はすべて「けど(けれど)」の前提たるその効果を強調する動態を提示している。「だけど」の場合の「だ」はそこで今まで言われていた内容が内容になっており、文には現れていない。「だ」さえ言われず「けどねぇ」といきなり言ったりもする。
「夢(ゆめ)覚(さめ)テ坐スルコト久(ひさ)シキケレトモ、サキニ久(ひさし)クイネタ(寝ねた)程ニ其枕痕カホウ(ほほ:頬)ニツイテ不消(けせざる)ソ」(『四河入海』)。
「なる程正直(指を)きつた(切った)にやァちげへねェのさ、けれど是(これ)にも深ゐ譯合のある事でごぜへすから…」(「洒落本」)。