◎「けたみ」(動詞)
「けた(桁)」の動詞化。「けた(桁)」の努力をすること。「けた(桁)」に関しては12月26日。活用語尾のM音は意思動態があることを表現しますが、この「けた(桁)」は橋桁(はしげた)であり、桁(けた)の努力をするとは、橋を渡す努力をすることであり、今まで通じ合っていなかった両岸を行き来できるようにする努力であり、人ならば心が通じ合う努力をすることです。そうした努力の現れが「けたみ」であり、具体的に何をするかというと、もっとも基本的には、挨拶をしたり、さらには茶などをもてなしたり、さらには酒や飲食をもてなすこともある。
「此両人御桟敷之前各ケタミテ通ケルヲ…」(『古事談』(1210年代):これは挨拶をしたのでしょう)。
「茶をけたみ八珍の肴をまうけ三淸の酒をすゝめつゝ…」(『慕帰絵詞(ボキヱことば)』(1351年):茶をもてなした。酒や酒の肴ももてなした)。
「懐与 ケタム」(『運歩色葉集』(1548年):懐(いだ)き与(くみ)する、とは、心が通じ合うような努力をすることでしょう)。
◎「けだもの(獣)」
「けづらもの(毛面もの)」。「つら(面)」は原意は顔面を意味する尊重感の乏しい表現ですが、意味発展的に、ものや情況の印象的表面も意味する。「けづらもの(毛面もの)→けだもの」は、表面、とりわけ顔、が毛で覆われるもの、の意。顔があるわけですからそのような生物であり、人間は極めて稀な特殊な事情がないかぎり全身が毛で覆われていることはないわけであり、顔があるような生物で、人間以外で、全身表面が毛で覆われているものが「けだもの(獣)」になる。
「畜 ……和名介太毛乃 牛馬羊犬雞豕也」(『和名類聚鈔』)。「獣 ……和名介毛乃」(『和名類聚鈔』:これは「けもの(介毛乃):毛もの」の例)。『和名類聚鈔』では動物が一般に「けもの」になり家畜が「けだもの」になっているわけですが、『日本書紀』皇極天皇元年五月の「此(これ)を以(も)て觀(み)れば、慈(うつくしび)無(な)きが甚(はなはだ)しきこと、豈(あに)禽獸(けだもの)に別(こと)ならむや」などは非人間的なものが「けだもの」になる。ようするにこれは、「けづら(毛面)」な動物は親しいが、人でありながら「けづらもの(毛面者)」のような者はおぞましいということか。