◎「げす(下衆・下種)」
「ゲシュ(下衆)」と「ゲシュ(下種)」があった。最初の「シュ」は「衆」の呉音。「衆」の意味は、多くの人。次の「シュ」は「種」の呉音。ここでは「種(シュ)」の意味は仏教的なものであり、仏陀が配したそこから人間性が育つ核心を意味する。「ゲシュ(下衆)→げす」は何者かに仕えてその下働きなどをしていた人たちであり、社会的立場の下の人たち、といった意味。「ゲシュ(下種)→げす」は、人間性が見下げ果てた卑しい者たち、といった意味。
「法師ばら、尼君のげすどもの料にとて布などいふものをさへ召して…」(『源氏物語』:これは下衆)。
「ほんによ、あんまり下主(げす)に出来たやつだ」(「滑稽本」『八笑人』:これは下種)。
◎「~げす」
「~へゲえむシウ(~へ解得む臭)」。「へ」は目標感・方向感のある助詞(これは音が退行化した)。「解(ゲ)」は理解・了解の意。「得(え)む」は、得るだろう、そう思われる、の意。「臭(シウ)」は、匂(にほ)ひであり、臭覚刺激ですが、そういう匂いがする、という表現が、そのように思われる、そのように感じられる、を意味する。たとえば、『ご職業は?』『落語家でげす』は、落語家へ解(ゲ)得(え)む臭(シウ)→落語家という方向性へ了解を得られるように思われます、~ということで了解を得られるように思われます。つまり、~である、と明確に言わず、遠慮がちに、遠回しに言っている。その意味で、相手に遠慮した自己卑下のある表現になっている。この表現は、江戸時代末期を中心として、芸人(たとえば落語家や幇間(たいこもち))さらには職人などの間で用いられた。のちには、「~です」と同じような扱いを受け「~でげせう(~でげしょう)」といった表現も現れる。
「『彼(あの)親爺(おやぢ)めにもぎられものを致してげすから』『ナニ、杝(もぎ)られものを被成(なすっ)たヱ』………『でげすテ。…』」(「滑稽本」『七偏人』:もぎられものをした、とは、なにかをもぎられた、ということ。ここでは男性性器をもぎりとられたと騒いでいる)。
「『…小生(やつがれ)は七大人(しちたいじん)の外(ほか)ではげすが』」(「滑稽本」『七偏人』:私は七大人(しちたいじん)には入らないように思われますが…)。
「『モシ旦那(だんな)好男子(いろおとこ)には何がなる。小蠅(うるさう)ゲスね』」(「人情本」『春色江戸紫』)。
◎「けすらひ(擬ひ)」(動詞)
「けしふりはひ(気・爲振り這ひ)」。「ふり(振り)」は様子を意味し→「ふり(生り・振り)」の項、「しふり(爲振り)」の「し(為)」は、「しごと(仕事)」「しくみ(仕組み)」その他、なにごとかが意思的・故意的であることを表現し(→「し(為)」の項)、「しふり(爲振り)」は、故意的・意図的な様子を意味する。「け(気)」の「しふり(爲振り)」が「はふ(這ふ)」、「け(気)」の意図的振り(様子)が感じられる、とは、作られた装(よそほ)ひが感じられることです。装(よそお)いをつくる、のような意。顔を化粧することなども意味する。意味の酷似した語に「けつらひ・けづらひ(擬ひ)」がある。
「みめが、あまりよいほどに、けすらふたらば、却(かへっ)て顔色が、けがれんと思て」(『三体詩抄』)。
「夕凪(ゆふなき)に ほつつ(帆筒頃:帆を立てる受け柱)しめなは(締縄)くりさけて(下げて) とまりけすらひ よする(寄する)ふなひと(船人)」(『新拾遺集』:「ほづつしめなは(帆筒締縄)」は帆筒を締める縄ですが、これは「しめなは(注連縄)」がかかっているのでしょうか。船が特別な装いをしたことは確かです)。