◎「げじき」(動詞)

虫の「げじげじ(蚰蜒)」(表記は「げぢげぢ」もある)の「げじ」の動詞化。虫の「げじげじ」には脚(あし)が多数出ており、銭金(ゼニかね)を俗に「おあし(御足)」と言い(※下記)、その「おあし(御足)」がたくさん出て行くことを「げじげじ」を動詞化し「げじき」と言った。意味は浪費すること。戯表現です。

「博奕(ばくち)うったり芸好して金銀のみか寝道具までげじいてのけて挙句には…」(「浄瑠璃」)。

「布施を一包手にためずみな三浦屋(遊女屋)の飯米(はんまい)代にげぢかれました」(「浮世草子」『好色万金丹』)。

 

※ 「おあし(御銭)」

銭金(ゼニかね)を俗に「おあし(御足)」と言う。これに関しては、労務の対価を「あし」と表現することは鎌倉時代にはある。「亀山殿の御池に大井川の水をまかせられむとて、大井の土民に仰せて、水車を造らせられけり。多くのあしを賜ひて、数日(すじつ)にいとなみ出だしてかけたりけるに、大方めぐらざりければ…」(『徒然草』)。銭金(ゼニかね)を「あし」というのは、「代金(ダイキン)」という言葉になっているところの、「代(ダイ)」を「台(ダイ)」と表現したということか。「台(ダイ)」は乗って立つようなものであり、そこによって立つもの。労働がそこによって立つものが「台(ダイ)」。「台(ダイ)」は、(努力・労働が)それで立つもの、という意味で、「あし(足)」。江戸時代には武士に対する知行(武士に対し俸禄として土地を支給すること、また、支給されたその土地。元来は「知行」は知ることと行うことを意味する。ある土地を知りその土地に関することをいろいろ行うわけです)を「あし」とも言った。それに立つことより武家の生活が立ったわけであり、その知行が上記の「台(ダイ)」のようなもの。つまり、当初、「あし(足・脚)」は、ものの、ではなく、努力の対価を意味したということです。ものの対価は「しろ(代)」であり「ダイ(代)」でしょう。これが室町を経、江戸時代には、「おあし(御足)」と言われ、ものの対価たる銭金(ぜにかね)を、それも小銭(こぜに:少額貨幣)を、意味し、『日葡辞書』(1603-4年)には「女性の言葉」と書かれる状態になる。小銭という点に関しては「おあしを一とすじかしておくんなんし」(「洒落本)」)といった表現がある。小銭たる穴あき銭に紐を通し多数連なったその一本が「ひとすぢ(一筋)」。これは、対価を表現する「あし」が和語ゆえの庶民性をもって広まり、ものの一般的対価を、すなわち銭金(ぜにかね)を、意味するようになり、その庶民性は庶民の日常生活での用語となり、それは小銭(こぜに)の場で多く用いられるようになり、庶民の家事関係で小銭(こぜに)での交換(つまり、小銭でなにか買う)をおこなうのは女が多かったから、ということでしょう。

 

◎「げじげじ(蚰蜒)」

「ゲツヒしゲツヒし(月非爲月非爲)」。「し(爲)」は、爲(す)る、ということであり、そういう様子をしている、という意味であり、それが二度重なることはそれが連動し続いていることを表現する。「月非し(ゲツヒ爲)」は、「月」の字と「非」の字を重ねた様子(そんな姿・外観)をしている、ということ。「ゲツヒしゲツヒし(月非爲月非爲)→げじげじ」は、それが続いている、ということ。そんな外観のものだということです。これは虫の一種の名であり、百足(むかで)に似、多数の足があり、それが異常に長い。「げぢげぢ」とも書き、省略し単に「げじ」「げぢ」とも言う。音は「ツヒし」が「じ」や「ぢ」になっているわけですが、表記は、どちらかと言えば、後音の影響による「げじげじ」が正しいでしょう。

「蚿(むかで)のあしのかせぎ心はげぢげぢのいそがはしきばかりにて」 (「仮名草子」『東海道名所記』)。