◎「けしかけ(嗾け)」(動詞)
「けし」は犬に何かへの攻撃性を煽(あふ)る掛け声。これを犬にかけることが「けしかけ」。犬を煽る「けし」の「け」は「いけ(行け)」の「い」の脱落でしょう。「し」はS音の動感で犬の動態を誘う。「我心なたね(菜種)ばかりに成にけり 人くひ犬をけしといはれて」(『菟玖波集』)。原意は、何かを攻撃させ噛みつくよう犬を扇動することですが、応用的に、人になにごとかをするよう、とくに心情を煽るように、仕向け働きかけることも「けしかけ」と言う(その人に対し無言で『行け。行け』と命ずるような言動をするわけです)。「連(つれ)立て参らぬも皆(みん)な、こな様のいとしさゆへ。人にそだてられ(のせられ、そやしたてられ、のような意)けしかけられ何ンじやの(けしかれられたとてなんなんだ)、妾(わし)が心はせいもん(誓文)かうじや(誓ってこうだ)と…」(「浄瑠璃」『女殺油地獄』)。
「嗾(ソウ)」の字は「族(ゾク)」の音が「促(ソク)」に通じるらしい。つまり、口(くち)で促(うなが)す、ということ。
◎「けしからず」
「けししくあらず(異し汲くあらず)」。「けし(異し)」であることにおいて「しく(汲く)」(追いつく)ものはない(→「百聞は一見に及(し)かず」)。すなわち、それは最も「けし(異し)」だ、と言っている。異常・異様だ、常識を超えている、ということですが、「けし(異し)」が肯定的に用いられ並外れた幸運を表現することもある。つまり、原意的には、これほど異(け)し(まれなことは)ほかにない、と言っているのであって、原意的には、後世の『けしからん』のように、なにかを非難しているわけではありません。しかし、あまりに「異(け)し」なことには抵抗感や不安や反発を感じることが多い。
「女君、もの隔てたるやうなれど(ものを隔てていたようだが)、いと疾く(文(ふみ:手紙)を)見つけたまうて、はひ寄りて、御後ろより取りたまうつ。『あさましう(呆れたことだ)。こは、いかにしたまふぞ。あな、けしからず。 六条の東の上の御文なり…』」(『源氏物語』)。
「(宮司(みやづかさ)がある人を車に乗せようと捜していたので、では私は次でいいです、と言うと宮司が)『けしからず。腹ぎたなくおはしましけり』などいへば乗りぬ」(『枕草子』:これは『とんでもないこと。底意地の悪いことをおっしゃる』のような意味か)。
「子はけしからず泣きやまぬ」(「浮世草子」:これ以上はないほど異常に泣き止まない)。
「木魂(こだま)などけしからぬ物ども所得てやうやうかたちをあらはし」(『源氏物語』:異常な、怪しいもの)。
「さてもこの程(ほど)何處(いづく)の者とも知らぬ男巫(をとこみこ)の来(きた)り候が、小弓に短冊(タンジャク)を付け歌占を引き候が、けしからず正(まさ)しき由(よし)を申し候程に…」(『歌占』「謡曲」:「歌占」は歌が書かれた短冊をひいてその歌で占うというものですが、これが異常なほど、まさに、と思うようなことを言い当てた) 。
「禁裏御對面之由源宰相申 (五辻宮は)けしからす御成長云々 珍重也」(『看聞御記』:並ではなく。これは非難していない。というよりも、称(たた)え祝っている。「五辻宮ハ後深草院後胤也」(同『看聞御記』永享四(1432)年八月二十八日。上記の「けしからす」はこの翌日))。
「『(不祥事を起こし会社の信用を台無しにした社員に関し社長が)まったくもってけしからん』」。
ただし、「けしくあらず(異しく有らず):常と異なるということはない。ありふれた、普通の」という意味の「けしからず」もあったようです。「男すくなき所なれば仲頼らがけしからぬものに(とくにこれといったものでもないものに)、よき女いとおほくつきてなむ時めかする」(『宇津保物語』)。これは「けしくはあらず(異しく・は・有らず)→けしうはあらず」(異(け)し(異常)、というようなものではない)とは別の表現ですが、「けしからず」には上記の「異(け)し汲(し)くあらず」とこの「異(け)しく有(あ)らず」があるということですが(※)、後世では後者の、ありふれた、の意味のそれは一般化しません。
※ つまり「けしくはあらず(けしうはあらず)」と「けしからず」があり、「けしからず」には「けししくあらず(異し及くあらず)」と「けしくあらず(異しくあらず)」があるということ。