◎「くれ(塊)」
「こいれ(凝入れ)」。「いれ(入れ)」は自動表現。「こ(凝)」になっているもの。塊(かたまり)。「つちくれ(土塊)」。生姜(シヤウガ)の和名は「くれのはじかみ(塊根の山椒)」と言う。(その根が。山椒の実のように)辛味のある塊だから。
「くれがつきよいかたびらのすそには………くれがつくともはやせや地しろのかたびら」(『田植草紙』:「かたびら」は裏地のない一枚だけの布・着物。これは田植えの歌であり、「くれ」は泥塊)。
「土塊 ………和名豆知久禮」(『和名類聚鈔』)。「塊 ……ツチクレ」「堆 ……ツチクレ」「泥 ……ツチクレ」(『類聚名義抄』)。
◎「くれ(呉)」
中国の都市「南京(ナンキン)」の古名「金陵(キンリョウ)」の古い音(オン)に由来すると思われます(※下記)。それによる「金陵辺(キンリョウヘン):金陵の辺(あた)り」。「金」は漢音「キン」、呉音「コン」。それにより「金陵辺(キンリョウヘン)」が「キンロヘ」「コンロヘ」のように言われ「クンレヘ」のような語が現れそうです。この言葉は「くれたけ(呉竹)」「くれなゐ(紅:呉(くれ)の藍(あゐ))」といった語になっている。また、そうとうに古い時代には一般的に中国を表現する語にもなっている。
※ 「金陵(キンリョウ)」は後に「秣陵」(「秣」の音(オン)は、マチ、ないし、バツ)に変えられ、さらに「建業」になり、はるか下って15世紀の明の時代に「南京」になる(中国・三国時代の呉(ゴ)の首都は建業と言われるわけですが、「金陵」はその古名であり、名の始まりは戦国時代の楚(ソ)の時代らしい)。
「卅七年(三十七年)の春二月(はるきさらぎ)………を呉(くれ)に遣(つかは)して…」(『日本書紀』応神天皇:「呉」とは書かれていますが、これは中国の魏・蜀・呉の三国時代のことではなく、この「くれ」は(南朝)宋と思われます。つまり、「呉(ゴ)」が書かれたわけではなく、「くれ」が「呉」と書かれた)。
◎「くれ(榑)」
「くらへ(倉重)」。倉(くら)に重(へ)を、多数の独立的進行を、なしているもの、倉に重(かさ)なっているもの、の意。平面状(板状)の木材。倉内部の「へだて(隔て:重立て)」にも用いられたかもしれない。その寸法は用途によっていろいろでしょうし、また、公的寸法は時代によっても、いろいろなようです。用途の大きなものにそれを用いて屋根を葺くことがある。いわゆる板葺き。「榑(フ)」の字は中国の書にその意が「神木」「木名」と書かれるような字であり、日本での「くれ」の実態は表現していない。
「榑 ………クレ」(『類聚名義抄』)。
「欂 …和名久礼 功程式有檜欂椙 欂 壁柱也」(『和名類聚鈔』調度部下・造作具:「壁柱也」は『説文』にある「欂」の説明がそのまま書かれている(日本語の「くれ」を説明しているわけではない。「くれ」に「欂(ボ)」の字が用いられたのは、薄(うす)い木、ということでしょう。『和名類聚鈔』の「板 ……伊太」の説明には「薄木也」とある))。