◎「くるすばら(来栖原)」

「くるすの小野(をの)」という言葉がありますが、これは「くりゆすりの(栗揺すりの小野)」の「り」の脱落。実を取るため誰もが木を揺する野。この「くるす」が独立し「はら(原)」に添えられ「くるすばら(来栖原)」。実を取るため、人が栗を揺する原。栗の生えた(あるいは生やした。つまり、食用にするために栗を意図的に植えた)原や野。「くるす(来栖)」や「くるすの(来栖野)」といった地名は各地にあります。

「引田(ひけた)の 若(わか)来栖原(くるすばら:久流須婆良) 若(わか)くへに…」(『古事記』歌謡93:「ひけた(引田)」は地名。「若(わか)くへに」は、若い頃のように、の意)。

 

◎「くるひ(狂ひ)」(動詞)

「けいりえいひ(異入りえ言ひ)」。「けい」が「く」になり「りえい」は「れい」のような音を経つつ「る」になっている。「け(異)」はその項参照。「いり(入り)」は、「驚き入り」などのそれのように、まったく何かの状態になること。「え」は驚き、驚嘆、の発声。「けいりえいひ(異入りえ言ひ)→くるひ」は、「異(け)入(い)り」―まったく人の経験にないような異常・特異な言動となり、「え」と人々が声を発するような状態になること。異常な状態になり驚嘆するようなことをしたり言ったりもする→「気がくるふ」。神霊や物の怪のようなものが「憑(つ)く」と言われる状態になることも言う。予想・予期にない状態になることも言う→「計算がくるふ」。

「相見ては幾日(いくか)も経ぬをここだくもくるひにくるひ(久流必)思ほゆるかも」(万751:「ここだくも」は、こんなにも、のような意)。

「大徳の親王の靈、卜者(かみなぎ)に託(くる)ひて言はく『我はこれ善珠法師なり…』」(『日本霊異記』:これは神霊がとり憑(つ)いたようになった)。

「たのむところは腰刀。ひとへに死なんとぞくるいける」(『平家物語』:「暴(あば)れくるひ」のような用い方の「くるひ」)。

◎「くるほし(狂ほし)」(形シク)

「くるひおほおほし(狂ひ大大し)」。「おほおほし(大大し)」は「おそろし(恐ろし)」の項(2020年10月7日)参照。狂(くる)ふ動態が大きくなっていく心情であることの表明。狂っているわけではない。狂いが肥大化していく予感にとらわれる。現実的な根拠・原因の喪失感を表現する「もの」のついた「ものぐるほし」という表現が多い。

「よしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)。

◎「くるほし(狂ほし)」(動詞)

「くるひおほし(狂ひ生ほし)」。「おほし(生ほし)」は「おひ(生ひ)」の他動表現ですが、人がある状態を自分に育成したという表現は、その人がそうなったという意味です。つまり、狂った。また、使役として、狂うことをさせる、狂わせる、という意味にもなる。

「この御酒(みき)は……少名御神(すくなみかみ)の 神壽(かむほ)き 壽(ほ)きくるほし 豊壽(とよほ)き……」(『古事記』歌謡40)。

「所有(あらゆ)る毒と薬と蠱(まじもの)と魅(くるほすもの)と……」(『金光明最勝王経』:これは、狂わせる、という使役)。