◎「くらし(暮らし)」(動詞)

動詞「くれ(暮れ)」の、「かれ(枯れ)」「からし(枯らし)」・「なれ(馴れ)」「ならし(馴らし)」のような、他動表現ですが、「くれ(暮れ)」は情況の変動動態(時間的経過、年月・年月の経過)を表現し、しかもそれは自然現象であり、その「くれ(暮れ)」の他動表現、つまり、何かにその「くれ(暮れ)」の状態を生じさせるということは(その日としては日が暮れ)ただ何かを暗くする以外にはあり得ず(→「日影も見えぬ奥山に心をくらし」(『源氏物語』))、それ以外はその「くれ(暮れ)」の動態が自己の動態になることを意味する。ただその進行する自然現象の中に居、その自然現象を受け、それとともにあることを表現する。そこで表現されることは、ただ時を過ごす(→「…行(ゆ)く雁(かり)は旅の空にや春をくらさむ」(『拾遺和歌集』))、生活する、ということです。特別に表現されることとしては、その、時を過ごしたり生活したりした場所にその間の一定感があることです。「十年、東京でくらした」。

「昼はも 嘆かひ暮らし(久良志) 夜はも 息づきあかし 年長く 病みしわたれば …」(万897)。

「梅の花咲きたる園の青柳(あをやぎ)を蘰(かづら)にしつつ遊び暮らさな(久良佐奈)」(万825)。

 

◎「くらげ(水母)」

「くらきえ(座消え)」。「くら(座)」はその項(11月23日)。形態が「くら(座)」を思わせ、それがときおり消えるもの。座(くら)が消えたようなもの。つまり、透明な座(くら)、ということです。半透明な座(くら)を思わせる形状のものが漂っているその生態印象による名。これは海洋生物の一種の名ですが、半透明のそれが波間に漂っている。

「海月 ……一名水母 和名久良介 貌以月在海中故以名也」(『和名類聚鈔』:クラゲをなぜ「海月」と書くのかはそれでわかりますが、なぜ「水母」と書くのかに関しては一般に不明とされています。この「母(漢音、ボウ、呉音、モ、中華人民共和国音、(尻上がりのアクセントで)ムー)」は「目(漢音、ボク、呉音、モク、中華人民共和国音、(語頭にアクセントが入って)ムー)」なのでしょうか。海に目があるような印象のもの、の意。発音は厳密には異なるのですが、似ているといえば似ている)。