◎「くみ(組み)」(動詞)
「く」のK音の交感とU音の遊離感のある動態感(→「う」の項)が意思動態的に現れることですが、これが、「くひ(交入ひ・食ひ)」の「く」が意思動態的に現れるような、構成秩序としての総合的一体感を生じさせる侵入的動態が意思動態的に現れることを表現する。自動表現(「(相撲において相手と)四つにくむ」、「彼とくむ」(同意思的に活動する者同士となる)、「仕事にとりくむ」)も、他動表現(「(家を建てるために)材木をくむ」)もある。「Aとくみ」と言った場合、「A」と思念的に確認される動態で全体的構成秩序を生じる侵入動態が生じる→「谷村君は…支那人と組(ク)んで豆の商売を営んでいる」(『満漢ところどころ』夏目漱石)。「Aにくみ」と言った場合、「A」が動態認了される動態で全体的構成秩序を生じる侵入動態が生じる(「A」が、副詞的に、動態を形容する→「石を塔にくむ」)。「Aをくみ」と言った場合、「くみ」が他動表現なら、Aという対象に全体的構成秩序を生じる侵入動態を生じさせる(→「石を重ねて塔をくみ」)。「くみ」が自動表現なら、Aという状態で全体的構成秩序を生じる侵入動態が生じる(→「私は石をくみ」が、客観的に複数の石を組み合わせて何かを形成したのではなく、「私」自身が石となって、たとえば何かから自分を守ろうとする、を表現する)。
「後もくみ寝むその思ひ妻あはれ」(『古事記』歌謡91:「あはれ」は、気の毒、という意味ではなく、感嘆する、ということ)。
「石を重(かさね)て塔をくみ」(『平家物語』)。
◎「くみ(汲み)」(動詞)
「うけゐふみ(受け居踏み)」。「う」は無音化し「けゐ」が「く」になりつつ「ふ」も無音化している。「ふみ(踏み)」は実践すること。「うけゐふみ(受け居踏み)→くみ」は、受容するあり方を実践すること。特に、自然に湧いたり流れたりしている水を受けること。人の思いを受けることもある。「川の水をくみ」。「彼の気持ちをくみ」。
「酒をくみ」の場合は、酒を作った大きな容器から柄杓のような物ですくい酒器へ入れる、それにより盃へ注ぐ、それを飲む、それら一連の行為がすべて「くむ」と表現されるような状態になっている。たとえば自然界に泉のように酒がわき、それを手ですくい、飲む…それら一連の行為が総的に「くむ」と表現されるような状態。「酒をくみかはす」。これは「食(た)べ」や「飲(の)み」という言葉を避けた一種の文人趣味的な表現なのでしょう。
「浦人のしほくむ袖にくらべみよ…」(『源氏物語』)。
「汲 ……クム……スクフ」「恕 クム ハカル …オモフ オモハカル」「酌 …クム」(以上『類聚名義抄』)。
◎「くまり(分り)」(動詞)
「くみやり(組み遣り)」。「くばり(配り)」の場合は「はり(張り)」ですが(「くばり(配り)」の項(11月8日)参照)、「くまり(分り)」の場合は、「くみ(組み)」を行い、水の自然流にまかせる。このまかせる行為が「やり(遣り)」です。意味に関しては「くばり(配り)」の項参照。
「次(つぎ)に天之水分神(あめのみくまりのかみ) 訓分云久麻理(くまり) 下效此 次(つぎ)に國之水分神(くにのみくまりのかみ)」(『古事記』)。