「くひいひふみ(食ひ言ひ踏み)」。「きう(wu)み」のような音(オン)を経つつ「くび」になった。「ふみ(踏み)」は実践すること(→「経験をふむ」)。「くひいひふみ(食ひ言ひ踏み)→くび」は、(口から)体内に何かを入れること(食ひ)と何かを言ふこと(言ひ)を行うところ、の意。身体の胴部と頭部の接合部を言いますが、その首(くび)から上(すなわち頭部)も含めて言われることもある(「首実検」(これは頭部を見る:もともとは、合戦で打ち取った敵将の頭部を本人かどうか確認すること))。後世で言う「(服の)襟(えり)」を「ころものくび(衣の首)」や「きぬのくび(衣の首)」といったりもする。その形状が似た器物の部分なども言う。処刑断首を受けることを「首になる」と表現することは江戸時代からある。これは首から上だけになってしまう、ということでしょう。「其売へぎ(売り削ぎ:売って得た利益)の廿両たとへくびになるとても、もふ取り返しのならぬこと」(「浄瑠璃」:打ち首(断首刑)になっても、ということ。職場を解雇されても、という意味ではない(現代ではそういう意味で「くびになる」と言う))。これによって、関係を断つことを「くびにする」とも言う。「首とは縁切れの事」(『一話一言』)。「首がまはらない」は借金などで金のやりくりがつかない、つまり、金に困っていることを言いますが、首が回らない→首が痛む→打ち首になりそう、そして自由に動けない、ということか。「ヘイ是(これ)は頭武六と申まして年中首が廻(まは)りませぬ身分で…」(「滑稽本」『花暦八笑人』)。

「我が恋は千引の石(いは)を七ばかり首(くび:頚)に懸けむも神のもろふし」(万743:五句「神之諸伏(かみのもろふし)」に関しては「かりうち(樗蒲)」の項。今はこれは、神のまにまに、と読まれることが多い)。

「頸 ……和名久比 頭茎也」(『和名類聚鈔』)。