◎「くはだて(企て)」(動詞)
足の裏を鍬(くは)の刃に見立てたところの「くははたて(鍬刃立て)」。この表現が「つまさきだち(爪先立ち)」(足の踵(かかと)を上げて立つ)とも言われる動態を表現した。「たて(立て)」は、現(あらは)し、現象化させ、の意(「音をたて)」などのそれ。自動表現なら、たとえば、「風たちぬ」)。つまり、「くはだて」は足先が鍬(くは)の刃(は)を現わした状態になることであり、爪先立ちのような状態になること。それが原意です。やがて(そうとう初期から)、その動態は遠くをのぞみ見る動態でもあり、時空の遠くをのぞみ、何かを考え、何事かを行うことを思案する(何事かを願う、さらには準備する。さらには、完遂はしていないが実行に入る)ことを意味するようになる。
「在(い)ます處(ところ)、常に一の足を翹(クハタテ)たまへり」(『金光明最勝王経』平安初期点(830年頃))。
「翹棘 ……訓久波多川(クハタツ)」(『新訳華厳経音義私記』(794年):「翹(漢音、ケウ、呉音、ゲウ)」は『説文』に「尾長毛也」、『廣韻』に「尾起也」と「舉也」書かれる字(「舉」は「擧(挙)」と同字))。
「趐 …ネカフ(願う)…アク(挙ぐ) クハタツ(企つ)」「跂 ………クハタツ フム ソハタツ(聳つ)」(『類聚名義抄』)。
「かしこく思ひくはたてられけれど…」(『源氏物語』:感心するほどに思い、ことを思案なさったが…)。
「謀反をくはだつ」。
◎「くはばら」
「クハンマライ(救反魔来)」の音変化。すべて漢字音。魔(マ)の到来を反(かえ)し救いたまえ、の意。それから逃れるためには呪文を唱え祈るしか方法がないような急激な現実感をもって接近してくる危難を逃れるための呪(まじな)いの言葉。通常は「くはばら、くはばら」と二度唱える。この呪文は雷の接近に際して唱えられることが多かった。予想しない状態で急激に接近してくる危難としてはそれが最も一般的だったのでしょう。此の呪文の漢字表現たる「桑原」は当て字。桑の木が植えられた畑を意味する「くははら(桑原)」という一般的表現はもちろん別にある。